螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

草加市の思い出・2…

草加の小学校には、1年だけ通いました。

これの一番の思い出も、情けないもので。

 

帰り、小さなどぶ川のほとりにしゃがんで、下をのぞき込んだら、ランドセルから教科書ノートがバッシャーン!!

ランドセルの留め金が、はまってなかったんです。

浅かったので回収は出来ましたが、教科書もノートも水を吸って、シワだらけ。

1年間、情けない思いをしました。

 

マヨネーズが決定的に嫌いになったのも、この頃かも。
別添のマヨネーズを、体めがけて浴びせてくるヤツがいたんです。

 

担任の口癖は「1年1組が一番下手」
何かにつけ、けなしてばかりの先生でした。
そのくせ、1年生では解けない問題を間違って出したときは、逆ギレしてたなぁ…。
その年で結婚して、辞めちゃいましたけどね。

 

怖い体験もしました。

ある冬の晩、風の強い晩でした。

ふと、消防車のサイレンが鳴り響く!

ギョッとして窓を見たら、真っ赤っか!

開けると、正面にある文房具屋さんが、赤々と燃えている!!

 

その地点までは200mぐらい離れていて、今でこそ、間には住宅や他の店が建っていますが、当時はまだ未開発で、原っぱ。

真っ正面に炎が見えたんです。

しかも父は単身赴任で、次の居住地にいましたから、母と弟と3人、おびえながら、逃げる準備もしました。

風向きによっては、火の粉が飛んでくる可能性があったから。

 

紙の多い文具店です。あっという間に燃え尽き、隣の店まで類焼。

こちらは、衣料品店でした。

こちらも、全焼したと思います。

文具店に至っては、骨組みだけ。

しばらくはそこを通るのが、怖かったですね。

 

ちなみに原因は、石油式の風呂釜の空焚き。

風呂桶の栓がよく閉まってなかったのが原因だったそうです。

 

その文具店は、移転して今でも営業しています。

小学生相手が中学生相手になって、現在に至るようです。

 

ウチが引っ越すことを告げられたのは、その少し後だったかな?

そりゃあビックリしたとは思いますが、多分、それほどの感慨はなかったように思います。

クラスで、上手くいってなかったから。

未練は、あまりなかったんですね、きっと。

でも、親友とケンカしちゃったりして、意識はしてたのは間違いありません。

 

引っ越しの前、お別れ会を開き、仲直りした親友にも送り出してもらい、当日。

いつもの電車から違う電車に、乗り換えて…

 

続きます。

 

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