草加を代表する景観です。
草加松原。
国の名勝です。
日光街道は江戸時代に整備されましたが、この辺りは湿地で馬が進まないため、茅を切り、柳を切って、草を埋めて道を作ったことから、「草加」との説があります。
※ 「砂地=ソガ→草加」説もあります。
松並木右側は、綾瀬川。
水面に映る、美しい松並木です。
近現代にも何度も改修を受けていますが、1683年、伊奈半十郎忠篤という人物が、治水工事の一環として、植えたと言われています。
その頃から「千本松原」と呼ばれ、親しまれていたようですね。
松並木の左、地元では旧4と(49とも)呼ばれる、「日光街道」県道49号線が併走しますが、松はかなりの密度で植わってるため、松並木は意外と静か。
市民の憩いの場になっていて、散歩したり、ジョギングしたり。
広さがあるので、自転車もゆっくり通れます。
松並木には、2つの太鼓橋が、跨道橋としてかかっています。
ちゃんと名前がついていて、北側は「百代橋」
「月日は百代の過客にして…」からですね。
松尾芭蕉「おくのほそ道」序文です。
南側の橋は「矢立橋」
「おくのほそ道」には、
行く春や 鳥啼き魚の 目に泪
という句が載っていて、これが「矢立初めの句」とされています。
「矢立」とは、携帯用の筆記用具(筆と墨壺を組み合わせたもの)のこと。
いよいよ、旅の始まり、と言うわけです。
今の世は、みんな携帯やスマホ、デジカメを持って、ウキウキしながら旅を始めるんでしょうが、それらは「矢立」のなれの果て、ということになりますね。
ただ、当時の旅は命がけで、決してウキウキの、物見遊山的な旅ではなかったそう。
日本列島を旅して、紀行文と多くの句が後世に残ったのは、本当に幸運だったと言えましょう。
ちょっとのんびり歩いていただきたい、並木道です。