螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

新石町・「黄金餅」の思い出・11…

※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。

 

 須田町の交差点を、南下します。
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ドーミーインがあったり。

ゴルファーに言わせると「(マッチプレイで)後がない!!」になってしまいますが、こちらは「dormitory(寮)」からの造語で、下宿のようにくつろげる宿、だそうです。

運営の共立メンテナンスは、社員寮などの運営会社ですね。

強みを生かした業種拡大だと思います。

 

実は、ある目標物を探してまして。

ん?
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神田鍛冶町に出ました。

 

資料を調べると…!!

実はこの辺り、新石町ではないらしい。

 

須田町交差点から南下した辺りは、新石町ではなくて、

「通新石町」

当時の中山道を挟むように存在した町です。

須田町で触れた青物市場は、この通新石町辺りまで広がっていて、八百屋さんの威勢のいい売り声が響く、賑やかな町だったそうですよ。

 

大体、この一八通りが境界のようです。
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岩本町から神田方面への、真っ直ぐな細い道です。

 

岩本町の起点付近。
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道中、こんな神社もありました。
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一八稲荷神社。

一日と八日に縁日があったそうで、この名前だそうですが…

実はこの神社、「防災」「盗難除」に、大変御利益があるとか。

東京を焼き尽くした空襲の時も、この神社のご加護のおかげで、この辺りの神田多町付近は、難を逃れたというから、相当なものです。

 

さて…

実際の新石町は、神田駅の南辺りになるらしい。

今の丁目では、内神田三丁目の一部です。

鍛冶町に隣接していて、鍛冶関係や、特に大工さんたちが住んだようです。

高架橋に、名前が残っていました。 
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当時の職人さんたちがこんなのを見たら、腰抜かすでしょうね。

 

 

そろそろ次へまいりましょうか。

 

次は「鍛冶町へ出まして…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

振り返って「神田の須田町へ出て…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com