※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
土橋と隣りあうのが、
幸橋架道橋。
山手線をはじめ、多くの電車が行き来します。
かなり、古そうですね。
名称は、かつて外堀上、内幸町辺りに架かっていた、「幸橋」に由来します。
当時は町名はなくて、この橋が往来の上で、目標となっていたそうです。
ただ、この先は江戸幕府の中枢ですから、警戒は厳重だったようです。
ここにあったのは、
「第一ホテル」
戦前、阪急の小林一三が建てたホテルで、幻となった東京五輪のために、冷暖房やエレベーターを備えた、高級ホテルでした。
現在は建て替えられ、「第一ホテル東京」として、営業しています。
さて、この辺りの地名は、西新橋だったり内幸町だったり。
久保町がない!?ということで、古地図を開いてみると…
この辺りらしいです。
外堀通り沿い。
バス停は「西新橋一丁目」
バスは都バスの渋88系統、新橋から六本木、青山付近を通って、渋谷駅に至ります。
久保町には「桜田」の名が冠されて、「桜田久保町」と呼ばれます。
元々は霞ヶ関の辺りが「桜田村」だったそうですが、武家の町にするからと、外堀沿いに移転させられたのが、家康の頃。
「桜田門」に、その名が残りました。
移転先では「桜田七ヵ町」として存在しましたが、今度は麹町から大火発生!
類焼して焦土となった桜田七ヵ町は、火除地になったため、町はさらに南へ移り、当地になったそうです。
明治後はさらに丁目を整理、関東大震災後は田村町となり、今は西新橋です。
古い町名を惜しむ声がありますし、僕もそう思いますが、これだけ大きな都市管理となると、町名変更・集約もある程度、やむを得ないかな、とも思います。
特に東京では、「桜田」を名乗る町は、いくつもあったそうですしね。
この西新橋郵便局の前身は、「久保町郵便分局」
明治15年開局の、歴史ある郵便局だそうですよ。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「新シ橋の通りを真っ直ぐに…」
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com
振り返って「土橋から…」