螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

久保町・「黄金餅」の思い出・21…

※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。

 

 土橋と隣りあうのが、
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幸橋架道橋。

山手線をはじめ、多くの電車が行き来します。

かなり、古そうですね。

 

名称は、かつて外堀上、内幸町辺りに架かっていた、「幸橋」に由来します。

当時は町名はなくて、この橋が往来の上で、目標となっていたそうです。

ただ、この先は江戸幕府の中枢ですから、警戒は厳重だったようです。
 

ここにあったのは、

「第一ホテル」

 戦前、阪急の小林一三が建てたホテルで、幻となった東京五輪のために、冷暖房やエレベーターを備えた、高級ホテルでした。

現在は建て替えられ、「第一ホテル東京」として、営業しています。
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さて、この辺りの地名は、西新橋だったり内幸町だったり。

久保町がない!?ということで、古地図を開いてみると…

 

この辺りらしいです。

外堀通り沿い。
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バス停は「西新橋一丁目」

バスは都バスの渋88系統、新橋から六本木、青山付近を通って、渋谷駅に至ります。

 

久保町には「桜田」の名が冠されて、「桜田久保町」と呼ばれます。

元々は霞ヶ関の辺りが「桜田村」だったそうですが、武家の町にするからと、外堀沿いに移転させられたのが、家康の頃。
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桜田門」に、その名が残りました。

 

移転先では「桜田七ヵ町」として存在しましたが、今度は麹町から大火発生!

類焼して焦土となった桜田七ヵ町は、火除地になったため、町はさらに南へ移り、当地になったそうです。

 

明治後はさらに丁目を整理、関東大震災後は田村町となり、今は西新橋です。

 

古い町名を惜しむ声がありますし、僕もそう思いますが、これだけ大きな都市管理となると、町名変更・集約もある程度、やむを得ないかな、とも思います。

特に東京では、「桜田」を名乗る町は、いくつもあったそうですしね。

 

この西新橋郵便局の前身は、「久保町郵便分局」
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明治15年開局の、歴史ある郵便局だそうですよ。

 

 

そろそろ次へまいりましょうか。

 

次は「新シ橋の通りを真っ直ぐに…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

振り返って「土橋から…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com