螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

松本市と長野県の思い出・20…

若い頃の、話です。

 

なんとか大学卒業はなって、なるべくして「就職浪人」と化した僕です。

バイトは浅間ハイツと、松本郵便局。

20万円までは行かなかったけど、近いところまでは行っていました。

でも、このままではいいわけはなく。

 

冷静に考えて、とてもじゃないけど、面接重視の採用試験では、合格しっこない。

つっこっまれては困る部分もあるし。

ならば、試験で入れるのは、公務員。

確実に職を得ようとするならば、高卒程度のⅢ種を狙おう。

しかも、当時の郵政事務Bだけは、比較的高齢でも、受験資格があったのです。

※ 今は民営の「日本郵政」は、当時は郵政省職員、公務員の現業扱いでした。

 

Ⅲ種の郵政事務Bは、比較的大きな郵便局への勤務が想定され、泊まりもありだよ、と言われていました。

でも、Ⅲ種は面接より試験の比率が高く、留年とかで傷がある僕には、Ⅱ種よりいいだろうという戦略もありました。

 

この時は、多分人生で最も、ストイックな生活を送りました。

そもそも、バイトと勉強を掛け持ちですし、間食やジュースなども減らして、禁欲生活でしたね。

体重は一番重くて90kgを超えてましたけど、72kgまで落としました。

精神的には追い込まれて、自分でも追い込んでもいたけど、それが逆に、力を発揮したんだと思います。

 

筆記 試験は無事にパス。

面接の面接官はなんと、勤務していた松本郵便局の、副局長でした。

面接も合格して、翌春から晴れて郵便局員として、スタートを切ることになりました。

 

…多少、緩めましたけどね。

 

下らない理由での留年から、人生を狂わせた僕ですが、これで7割ぐらいは取り返したかな、なんて思いました。

少なくとも、職を手にして次に進む権利を得たんですから。

 

配属が決まったのは、確か3月に入ってから。

場所は「湯河原郵便局」でした。

? どこ??って状況でしたが、神奈川県の一番西にある普通局でした。

小っちゃいけどね…。

 

引っ越しをして、今度は神奈川県の湯河原町で、新しい生活を始めることになります。

 

続きます。

 

 

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