螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

富士浅間神社・「我が街・草加」の思い出・22…

東武谷塚駅すぐ。

瀬崎町にあります。

 

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富士浅間神社です。

「瀬崎浅間神社」でも通じるようです。

 

本堂の裏にはこんな遺構が。

貴重な彫刻が、残るそうです。
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これは、神楽殿かな?
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境内社「下浅間神社
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松本の浅間温泉を思い出すのは、僕だけでしょう。

 

実は境内の裏手は、かなり広いです。

子供たちが、野球やサッカーで遊んでるのを過ぎて、奥の方まで行くと…

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富士塚です。

登ると、富士山登頂と同じ御利益が得られます。

※ 現在は登ることは出来ません

 

富士山なんて、そう誰もが行ける場所ではありませんし、そもそも江戸時代は女人禁制でした。

そのため、街中に富士山に見立てた塚を造って、そこに登れば富士山に登ったことになる、という「富士塚」は、多数存在します。

 

他国にも、こんな考え方、あるのかな?

日本人の合理主義的な側面なのかも、知れません。

 

こんな庭園もあります。
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こぢんまりとした、落ち着く庭園です。

一角にはこんなものが。
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力石です。

これはちゃんと、重さが刻んでありますね。

当時では西南の役の勇士・福田巳之助が、全て持ち上げたそうですよ。

 

こちらは、鎮魂碑。

西南の役から、幾多の戦争に散った霊を、慰めます。
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戦後の軍事裁判で、「全員無罪」を主張した、パール判事の詩が刻まれているそうです。

 

トイレはありますが、「常に」施錠されています。
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おしっこもれちゃう!? 

(実は、ガマンしてました…)

 

さて、本殿付近に戻ってくると、こんな掲示が。
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これ、「高低測量几号」と言います。

明治時代、高低を測量する際の基準を示した物で、「几号水準点」と言うそうです。

これが何故、神社の物にあるかというと…

神社は不朽のものとされたから。

神社なら壊されたり移動したりする可能性も低いし、所有者が変わることもない。

好都合だったわけです。

 

でも、さすがに100年以上も経ってしまい、その間に地震もあり、戦争もありなので、

すっかり朽ちて、見えなくなってしまいました。

 

「手洗い鉢」にあるというので、随分探したんですけどね…
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これは境内社のもの。

違うよね…。
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これではないよね!
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結局わからずに、時間切れとなりました。

帰って、正解写真をネットで見ましたけど、それでもわからなかったなぁ…。

最初の大きな手洗い鉢の、側面左下にあるそうですが…。

 

謎ですね~

 

それでも、境内は広く、見どころも多い神社ですね。