大阪版の「て」は、
「天道人殺さず」です。
天は慈悲深く、人を見放すことはない、というたとえになります。
確かに、そうですね。
見放すとしたら、自分が自分を見放すんだと思います。
僕もかつて、自分を見放そうとしたことがありました。
まぁ、慈悲をかけられたと言うよりは、見放しきれなくて、今も生きてるんですが。
「生きてれば、いいこともあるよ」って、人は言うかもしれません。
でも、僕はそれは、言うつもりはありません。
誰もがそうなるとは、限らないから。
でも、少なくとも…
自分を見放そうとする時は、周りが、自分が、全く見えてない時だと思う。
いろんな状況から、見ることが出来なくなっている時だと思う。
それを乗り越える、と言うか、やり過ごすだけでもいい。
それまで自分が思っていたものとは、全く違った人生が開けることが、あるのです。
僕なんか、典型で。
15年前、今のような生活を送り、今のような心境になることは、恐らく思っていなかったと思う。
僕自身は好転と評価していますが、例えそうでなかったとしても…
それほどの変化を与えてくれるのは、天の力と思えなくもないのです。
人生は面白い。
全く予想が付かないほど、面白い。
46年生きてきて、今はそう思っています。