螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

日野市の思い出…

 

僕は今まで、7ヶ所の土地に住んだ経験があります。

草加は、2回数えますが。

 

今は草加が一番長いですが、それ以外は5,6年の居住。

どこも同じぐらいの居住でした。

でも、それぞれの街に、それぞれの思い出があります。

 

僕の半生を振り返りつつ、その思い出を綴っていきたいと思います。

 

僕が生まれたのは、東京都日野市。

江戸っ子ではありませんが、東京都民でした。
わずか、1年半ですけど。
 
郊外のマンモス団地に、親が住まいを得たのです。
 
豊田電車区(当時)という電車基地があり、始発があるので座れたそうですが、
父に言わせると、「車庫からの始発は暖房が効いてなくて、極寒でねぇ~」
だそうです…。
 
昼になると、何本かのオレンジ色の電車が昼寝しています。
それを見せてもらうと、僕はえらい喜んだらしい。
 
思えば、鉄道好き、色好きの原点は、ここにあるのかも。
なので、鉄道趣味歴は「年齢-1」年と称しています。
 
大学生になってから、この街を再び訪れたことがあります。
住んでた当時、僕自身は赤ちゃんでしたから、何も覚えていませんが、適当に街の写真を何枚か撮って、親に見せたら、結構懐かしがられて。
 
「あっ、この店まだやってる!」「この店は閉めたのか…」とか。
喜々としていましたよ。
 
団地の入口付近に建っている郵便局。当時のままのようです。
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両親にとっては、思い出の街なんですね。
結婚して移住して、子どもが出来て。
いろいろなことが、あったんでしょうね。
隣に住んでいた職業婦人・Oさんとは、今でも親交があります。
 
でもその街も、再開発で団地は壊され、この前行ったときは、すっかり更地になっていました。
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この交番の先に、何棟もの団地が建ち並んでいたんですよ。
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最近になって、そこに新しいコンセプトの街が、作られたそうです。
 
そこで新たな出会いが、新たな産声が生まれ、人々の営みはまた、続いていくんでしょうね。
 
 
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