螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

草加市の思い出・1…

出生の日野市から、だいぶ間が開いてしまいましたが…

 

両親が家を買い、移り住んだのが、埼玉県草加市です。

 
ここで、1歳半から7歳までを過ごしました。
 
遊び場は「消防公園」が多かったですね。
古い、本物の消防車があったんです。
消防士気分でね♪
空き地もまだ、結構ありまして。
秘密基地も、ありました♪
 
友達もいたけど、あんまり友だち付き合いは、得意ではなかったです。
近所に1歳年上のお姉ちゃんがいたけど、主導権はもちろん、お姉ちゃん。
リカちゃんとタラちゃんの関係に、近かったかな?
リカちゃん?が小学校に上がると、お呼びがかからなくなりました。
 
幼稚園は2年行きましたが、一番の思い出は、トイレのガマンって、情けないヤツでしたね。
 
四六時中、我慢してました。大小とも、一生懸命!
「おしっこ行きたい!」って先生に言うと、怒られると思ってたみたい。
 
で、我慢できずにおもらし…。
注意もされましたが、もらしちゃった後のスッキリ感?で、お小言もどこ吹く風!?だったようです。
 
大きい方も、しちゃいました…。
1回だけ。
言い訳すると、しゃがんで、出来なかったんです。
ウチ、洋式トイレで…。
 
和式トイレは怖いような、得体の知れないような、そんな存在でした。
みんなが使い方を教えてもらうだろう、入園してすぐの頃に、水ぼうそうと風疹で長く休んだのも、不運だったかも。
 
だから幼稚園が終わるまで、毎日必死にガマンしましたよ。
でも、どうしても我慢出来なかったことがあって…。
出ちゃって、臭いでバレて、だいぶいじめられたけど、言い訳は出来なかったなぁ…。
 
…話題、変えましょう。
 
この時期、鉄道とのふれあいの場になったのは、東武伊勢崎線の踏切でした。
 
カンカンカンカン…と鳴りだして、遮断機が降りてくる。
電車が通過していって、さあ渡ろうと思ったら、矢印が増えてる!ってまた待ちぼうけ。
列車によって通過速度も違うし、警報音もよく聞くと一定ではない。
 
実にいろんな要素を含んだ、鉄道スポットなのです。
僕を鉄道好きにした決定打は、この踏切、なんですよ。
 
今は高架複々線になり、この踏切は残っていません。
地元にとっては渋滞の種でしかない踏切ですが、僕にとっては思い出の場所、なんですよ。
 
こんな感じの、草加の幼少期でした。
草加の学校は1年しか行ってないけど、別に書きますね。
 
 
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