草加市在住です。
草加市は横にも広がりがありますが、無理やり3本の横線を引いて、北から4つに分けてみると…
一番南は旧谷塚町。
東京・足立区に接し、人口も多いです。
その北は旧草加町。
中心駅の草加駅や、市役所があり、賑やかです。
駅ビル「Akos」は、草加をひっくり返すと…
その北も草加町ですが、通称・松原地区。
旧4号線沿いにある草加松原は、松並木が車の騒音をかき消して、落ち着いた憩いの場です。
TOKIOの山口達也が生まれた松原団地は、建て替えがどんどん進み、近代的なマンション街に。
獨協大学もあって、活気がある街です。
この地区の駅「松原団地」は、「獨協大学前」に、改称されるそうですね。
そしてその北は…、旧新田村。
僕はここに、住んでいます。
その名の通り、新田が開発されて、その地区を中心に、村となりました。
新田開墾は江戸時代、ですけどね…。
○○新田って名前で、地名になりました。
草加町と合併したのは、1955年(昭和30年)。
「○○○○新田」は長いので、ゆかりを残しつつ、新しい地名になりました。
例えば…
長右衛門さんが開発した田んぼは、「長栄町」
清右衛門さんが開発した田んぼは、「清門町」
金右衛門さんが開発した田んぼは、「金明町」
新兵衛さんが開発した田んぼは、「新栄町」
善兵衛さんが開発した田んぼは、「新善町」
新善町は、国道4号線と国道298号線の交わる、大きな交差点ですから、渋滞情報でご存知な方もいらっしゃるでしょう。
あっ、一つだけ町名にならなかった新田が!
九左衛門さんが開発した、九左衛門新田。
ない頭で考えると…、
“九”は“苦”につながるので、ある“技”が発動!
“九”の後ろに“日”を乗っけると…
「旭町」になりました。
…ってのは、全く根拠のない想像なんですが、新田村成立の時に、旭氷川神社(金明町)を村の社として、村内新田の鎮守ほか、各神社を合祀していますので、名前をもらったのかも知れません。
いずれにせよ、この先人たちが汗を流したからこそ、今の草加市北部が、あるわけですね。
今は新田地区も宅地化が進みましたが、まだまだ田んぼも残ります。
先人の意志を受け継いで、郷土を愛し、大事にしていきたいですね。