螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

鹿児島県と姶良町の思い出・10…

海のない埼玉にはもちろん、神奈川にも多分、ほとんどなかったもの。

鹿児島にはあります。

 

「離島」

 

近くて遠い、遠くて近い、鹿児島の県土です。

 

日本エアコミューターの機内パンフに、いいのがあったので、載せますね。
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近いところでは種子島屋久島。

飛行機もありますが、「トッピ-」「ロケット」といった高速船が結びます。

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種子島宇宙センター

大型ロケットの「HⅡ-A」「HⅡ-B」は、ここから打ち上がります。

 

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お隣屋久島は、世界遺産の島。

屋久杉が生えてたり、屋久猿がいたり。

近くの小島、口之永良部島では、最近噴火がありましたが、釣り客などの観光客が、多く訪れます。

 

その次が、三島村と十島村

一口に“トカラ列島”(吐噶喇)と呼ばれます。

有人無人の小島が連なっており、確か空港はなく、専用のフェリーが行き来しているようです。

 

「悪石島」なんて、変な名前の島の由来は、平家の落人が追っ手が来ないように、わざと悪い名前にした、なんて俗説があるとか。

ボゼという神の島でもあり、他では見られない行事があるそうです。

一方で「宝島」、「小宝島」なんて島もあり、「宝島」にはキャプテン・キッドの財宝があるという俗説が、「小宝島」は上から見ると妊婦に見えるため、この名前があるそうです。

 

いずれも行くには敷居が高いですが、島独特の自然と風習があり、魅力ある島々です。

 

更に南下すると、奄美大島です。

僕は行ったことがありませんが、南に連なる島々では、一番大きな島。政治・経済の中心です。

でも、島らしい風土は残り、景勝地も多いそうです。

 

ここの郷土料理が、こちら。

「鶏飯」

「けいはん」と呼びます。

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薩摩からの役人をもてなすために考案されたという、鶏のスープにご飯を浸したもので、とにもかくにも鶏を味わう料理。

実際には錦糸卵ほか、もっと具材が乗りますが、ウチではこのシンプルなスタイルが、多いかな?

スープの旨味が、ジワリと染み渡ります♪

 

徳之島は、男性の最長寿者だった、泉重千代さんが住んでいたことで知られます。

鹿児島の離島の中では、この徳之島と奄美大島、そして周辺の小島に、猛毒で知られるハブがいることで知られます。

何でも、奄美の人口の3倍ものハブがいるそうで、茂みなどにはむやみに近づかない方が、無難です。

 

喜界島は、鬼ヶ島のモデルとなった島と言われ、平家物語では俊寛が流された島とされる、歴史の島です。

今は鹿児島空港に直行便が飛びますが、僕がいた頃は奄美乗り継ぎが必要で、奄美-喜界-徳之島-沖永良部-与論相互を、「日本エアコミューター」という会社の「ドルニエ」という小型飛行機が結んでいました。

 

そして、さらに南には、沖永良部島与論島が浮かびます。

与論島はマリンスポーツが盛んな島、沖永良部はあまり観光には力を入れておらず、農業だけで十分食べていける島と聞きました。

その、沖永良部島に行ったことがあります。

 

沖永良部空港の思い出…」で書きましたが、人の手が入りすぎた沖縄から渡ってきて、自然豊かで美しい海岸に、ほっとしたのを覚えています。

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kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

与論島の南は、もうすぐ沖縄本島です。

鹿児島県庁より、沖縄県庁の方が、遥かに近い。

フェリーも確か、鹿児島-沖縄間で航行しており、主な島を経由していったと記憶しています。

 

でも、沖縄の人にとって、鹿児島・薩摩は支配者だった時期が、長かった。

近くて遠い、複雑な関係、なのです。

 

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