※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
この手のアナウンスは、駅の工事に出資すると、なされます。
他にも
銀座は「高島屋前」
京橋は「明治屋前」
東京は「サンケイ前」
築地は「本願寺前」(土地提供)など。
ところで、今はここは広い道路ですが、江戸時代の地図を見ると、この辺りだけ不自然に広くなっています。
実は「広小路」とは、火事の類焼防止のために、あえて広く取られた場所なのです。
今の上野広小路は、当時は下谷広小路と呼ばれ、明暦の大火の後に設置されたそうです。
この近くのスポットと言えば、
「鈴本演芸場」
落語協会の常設寄席です。
東京にはここの他に、浅草演芸ホール、末廣亭(新宿)、池袋演芸場がありますが、鈴本だけは入ったことがありませんね~
今度、行ってみようかしら。
常時昼夜入れ替え制の寄席です。
鈴本の住所は上野二丁目。
この辺りは確か「元黒門町」と呼ばれていました。
黒門町と言えば、ある人物。
「八代目桂文楽」
名人と誉れ高い人です。
僕は、聴いたことないんですよね~
何たって、僕が生まれるちょうど1週間前、旅に出てしまいましたから。
歌舞伎では「よっ、成田屋!」「成駒屋!!」とか、屋号でかけ声をかけます。
落語では「よっ、柳橋!」、「待ってました!矢来町!!」とか、住所でかけます。
それも、旧町名の。
「しかし最近は住居表示とやらで、『よっ!東上野四丁目!!』なんてぇのは、味気なくってしょうがねぇや…」
…似たような記事を、こしらえております。
不粋ですみません…。
ここは、入ったことがあります。
上野広小路交差点の角!
「お江戸広小路亭」
永谷商事株式会社が運営する寄席です。
※ 「永谷園」とは無関係のようです。
同じく、日本の文化芸能を後援してますけどね
今はイス席のようですが、当時は座布団敷きだった記憶が。
狭かったけど、楽しかった印象があります。
常設寄席を持たない円楽一門や立川流、二人会の企画など、ひと味違った番組を興行します。
どちらの寄席も、名前も知らない噺家さんが、入れ替わり立ち替わり現れては、ちゃんとみんなを笑わせて、去っていきます。
噺家さんって、みんな素晴らしいですよね。
でも、古典の落語などは、聞く方も昔の風俗を知っておくと、噺がより楽しくなります。
落語は間口は広く、奥も深い芸能なのですよ。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「御成街道から…」
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com
振り返って「三枚橋から…」