旅行2日目。
今回の旅のメイン、「鯖街道」を旅します。
概ね、現在の国道27号→国道303号→国道367号に相当します。
行程は約十八里。
今だと約90km、車で3時間も走れば着く距離ですが、各所に峠がある行程は、当時は丸一日かかったそうです。
重い荷を背負っての峠越えは、大変な重労働。
特に冬は厳しく、落命した者もいたそうです。
しかし、その丸一日、塩で締められた鯖は、美味い具合に馴れ、冬はさらに寒さで締められて、届いた鯖は一段と旨味を増したそうです。
今でも、京都の料亭は届いた鯖をすぐには使わず、当時の所要時間が経つまで、鯖を寝かすんだそうですよ。
さて、安全運転で出発!…なんですが、実は昨夜、既に出発しておりまして。
小浜市の商店街に、こんなポータルが!
元を正せば、この道が旧道なんでしょうね。
道は付け替えられて、良くなった場所は、いくつかあるそうです。
「京は遠ても十八里」
実際は遠かったと思いますが、小浜の人々の心意気が、伝わってきますね。
なお、これにもあるように、「鯖街道」の呼称は、後世のものです。
当時は「若狭街道」と言ったそうです。
さて、出発します。
いくら道が良くなったとは言え、山越え峠越えには変わらず、カーブも多い山道です。
運転は慎重に、かつ、ある程度のスピードは、維持しなければなりません。
にわかドライバーには、試練の道です。
国道27号線から分かれ、国道303号線を進むと、最初の宿場町、熊川宿へ到着します。
若狭国、現在の若狭町にある熊川宿は、鯖街道の中継地として栄えた街です。
こんな風に、運んだんでしょうか。
宿場町も、残されていました。
手形、忘れちゃった!?
ここで地酒を買い…
へしこ!
若狭の郷土料理です。
保存食として、鯖を塩漬けにした上に糠漬けにしたものです。
宿でも出ましたが、かなり塩気が強い!
でも旨味もあって、ついついご飯が進みます。
義民、松木庄左衛門
命に代えて、民の暮らしを守った人です。
重税を課す領主に、税引き下げの陳情を何度も行ったため、一味もろとも捕らえられ、厳しい拷問にかけられたものの、ただ一人耐え抜いて、なおも税引き下げを求めたそうです。
領主はようやく引き下げに応じましたが、自らははりつけの刑に処せられた、との逸話が残ります。
さて、道は国道367号線に入ります。
国は近江に変わり、琵琶湖の西を南下していきます。
次の宿場・朽木宿へ到着です。
ここも鯖街道の宿駅として賑わった他、木材の供給地としても、大変賑わったそうです。
商品なんで写すわけにはいきませんが、道の駅には、栗や杉など本物の木を使った知育玩具や、「火の用心」の拍子木までありましたよ。
さて、今回の旅を発案した父が、「鯖街道で焼き鯖を食べたい!」らしい!
焼き鯖とはいかないけど、鯖寿司と焼き鯖寿司なら!
「栃生梅竹」
たまたま見つけて入ったのに、店内にあった来店者ノートには、リピーター多数!!
これは、期待出来る♪
運ばれてきましたよ。
これは美味い!
脂が乗ってましたね~♪
鯖寿司の旨味もよし、焼いた鯖の香ばしい身もよし!
鯖寿司、焼き鯖寿司、甲乙つけがたし!!でした~!
お昼も食べたし、さぁ京都へ一直線!って行きたいところですが、にわかドライバーに京都市内の運転は難しかろう、ということで、途中で国道477号線に入って、滋賀の堅田へ逃げました。
あっ、本当に「途中」という地名で、かつては途中町があったんですよ。
延暦寺の偉いお坊様「相応和尚」が、自らが開山した2つのお寺の、ちょうど中間に当たるこの地を、「途中村」と命名したそうです。
当地から京都府に入る峠「途中越」は、京都への最後の難関だったそうです。
ここから左折して、琵琶湖方面に向かう道路は、整備された、広い道です。
ちなみに、右折すると京都を経て、最終的には大阪府の池田市まで行けますが…
お疲れ様でした~!
乗務完了です。
(追記)
出町柳へ向かう道で、出町橋を渡ると…
鯖街道口。
そう、ここが「鯖街道」の、事実上の終点です。
昔の人は丸一日、今はトラックで数時間の道のり。
僕らは1日目夜の起点から、約38時間かけて、ここに到達したわけです。
…鯖の塩加減、馴れすぎかな?
でもここに、鯖街道の旅が、真に完結したわけです。
お疲れ様でした~!