※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
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八重洲通りを西へ進むと、東京駅。
東へ進むと、八丁堀です。
八重洲通りには、こんなモニュメントがあります。
平和の鐘。
1980年、日蘭修好380年を記念して、中央区が建てたそうです。
時間によって、26個の鐘が、美しい音色を聴かせてくれるそうですよ。
地名としては「八重洲」の方が、浸透しているかもしれません。。
その由来には、この人物が関係します。
ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン。
オランダ人の航海士で、豊後国に漂着した後、徳川家康に重用され、朱印船貿易の礎を築きました。
日本人と結婚して、この辺りに住んだそうで、「ヤン・ヨーステン→(日本名)耶楊子→八重洲」という地名が、当地に残ったそうです。
そうそう、「押上文庫」のご常連、Iさんから、こんなに情報を。
(頂いた情報より、インスピレーションを膨らませて、執筆しております)
中央通りで八重洲通りを渡った辺りを、「中橋広小路」と言ったそうです。
実際、かつては橋があって。
日本橋と京橋の中間なので、中橋。
紅葉川という水路があって、それを渡していたそうです。
川は江戸時代中に埋め立てられて「中橋広小路」となりました。
芸能関係者が集まる、文化的な地域だったそうですよ。
かの中村勘三郎が芝居小屋を建てた地でもあって、「江戸歌舞伎発祥之地」なんですって。
でも、実は…
さて、京橋区に入りましょうか。
京師「三条大橋」が書かれる西勘は、左官師御用達の、プロの店。
重厚な建物の「明治屋」は、舶来品を扱う老舗スーパーです。
明治屋のジャムは、あまりにも有名ですね。
信州産のいちごを使ったジャムが、最初だそうですよ。
さらに進んで、京橋。
もちろん、橋がありました。
かなり、大きな橋だったんですね。
日本橋から京へ向かう橋ということで、この名前になったそうです。
橋は京橋川に架かっていたそうで、沿岸はあっちの河岸、こっちの河岸!
賑やかだったんでしょうな~!
その京橋川は、外堀から引かれた人工河川で、桜川・楓川といった別の水路に連絡していたそうですが、今は埋め立てられ、そっくりKK線(東京高速道路)になっています。
これが西銀座出入口ですので、この辺りから外堀を離れ、東進していたのでしょう。
ちなみにこの道路、無料で通行できます。
汐留、京橋、西銀座で、首都高速に乗り継ぎできますが、首都高からこの道路を経由する場合でも、10分以内に通過すれば、料金は通しでOKだそうです。
街を歩いていると、かつて川や水路だったところを、埋め立てて道路にしたり、柱を立てて高速を通したり。
この場合は埋め立てた上にビルを建てて、その屋上に道路を通した例になります。
平地とは言え、土地の供給量は圧倒的に少ない東京。
いろいろ知恵を凝らして、少ない土地を有効に利用してきた、歴史があるわけです。
そうそう、先ほどの…
「江戸歌舞伎発祥之地」の碑も、実はここにあるのです。
正しい位置から、約500mも南です。
どうやら、スペースの都合で、やむなくこうなったらしい。
碑には「中橋南地」の文字は入ったものの、碑を建てた関係者に、わざわざここに建てたいと思った人は、いないはず。
きっと、残念な思いだったでしょうね。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「新橋を右に切れまして…」
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振り返って「通四丁目へ出まして…」