※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
新橋を右に切れ、旧汐留川沿いに西進します。
汐留川は、溜池から虎ノ門、新橋を経て、浜離宮の西で東京湾に注ぎます。
溜池では、水が湧いてたそうですよ。
虎ノ門に堰があって、川をせき止めていたんですが、逆に高潮の時、海水の逆流を防ぐ役割も、果たしてて。
溜池は上水でもあったので、“汐を留める”必要があったわけです。
現在の「汐留」はもっと南東ですが、ルーツは虎ノ門にあったのですね。
しかし、埋め立てが進むにつれて、川も埋め立てられていき…
今回の土橋-新橋の区間も、今は水ではなく…
車の流れ。
東京高速道路(KK線)になりました。
ちなみに、この難波橋は、新橋のひとつ西に架かる橋です。
今となっては由来なんかわかりませんが、橋の北側の当時の町名は、「南大坂町」
関係があるかも?知れません。
この辺りにはいろいろあって。
「煉瓦街」
銀座界隈は1872年(明治5年)、大火に見舞われまして。
火事に強い街づくりをと、早くから煉瓦づくりの建物が、軒を並べたそうです。
次第に街は新しい商売で賑わい、日本橋を凌ぐほどに発展します。
しかし、関東大震災では、地震で煉瓦壁に亀裂が入り、火災では内装部が焼けてしまい、煉瓦だけが空しく焼け残る、最悪の事態となりました。
今はこんなモニュメントが、当時を伝えています。
「銀座の柳」
銀座と言えば、柳。
界隈あちこちで見かけますが、ちゃんと理由があるそうで。
松や桜を植えたが、うまく育たず、枯れてしまいました。
代わりに柳を植えたら、上手く行ったんだそうです。
この辺りは地下水が高いため、柳の生育に適していたのです。
一時は環境悪化で減るものの、今は復活に向けて活動中、だそうです。
ちなみに、安曇野産の柳とわかったとかで、安曇野の穂高駅にも、“銀座の柳”が植えられてるそうですよ。
映画にも、歌にもなりました。
巨匠(母)は、小さい頃に聞いたことがあるそうで。
さすがに、映画は知らないらしい…。
さて、ようやく本題の「土橋」!
五叉路に高速入口。
かなり大きな交差点です。
「首都高速」なんて書いてありますが…
実際には東京高速道路の入口です。
最近は、看板更新時に「首都高速」の文字を外しているそうです。
昇路。
「ランプ」ですかね。
英語では「ramp」で、「傾斜」の意味だそうです。
土橋は、難波橋のさらに西の橋。
橋としては非常に小さいものだったそうで、さらに路面に土を被せてあったので、土橋と呼ばれたそうです。
この当時は歩きやすさを取ったんでしょうが、城郭などでは、土橋にするか木の橋にするかは、選び所だったそうです。
土橋は頑丈ですが、木の橋は容易に壊すことができ、攻守ともに戦略上重要な拠点になり得るからです。
また、ここには虎ノ門と同様、潮を止めるための堰があったそうです。
埋め立てが東に進むにつれ、潮を止める機能も、より東側に必要なったんでしょう。
さて、東京高速道路とは、ここでお別れ。
旅はさらに西へ進みます。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「久保町へ出まして…」
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com
振り返って「新橋を右に切れまして…」