そろそろ、但し書きを付けとかないと、わかってもらえないですよね。
大学時代のお話。
もう、20年以上も前になります。
前回の続き、アルバイトと言えば、もう一系統として、宿所である「浅間ハイツ」でのアルバイトがありました。
最初に声がかかったのは、1年生の3月ぐらい。
受験に来る新入生に、入居勧誘のビラを配ることでした。
信州大学の特長として、1年生は全員、松本の教養部で学ぶんですけど、2年になると、工学部と教育学部は長野、繊維学部は上田、そして農学部は伊那(南箕輪村)に、それぞれ移住するんです。
残るのは在松生、人文・経済・理・医(医短)の4学部。
つまり、100名近い収容力を誇る浅間ハイツも、半分以上は1年だけで、他に引っ越すんです。
しかも、在松生でも2年のタイミングで移る人もいますんで、2年以降も浅間ハイツに残るのは、2割もいないんです。
そうなると、どうするか。
もちろん、新入生を大量に入れる必要がありますね。
そのつてが、受験の時に渡す、ビラなんです。
僕もそれで、入りました。
それを今度は、渡す側になったわけですね。
実は信大生で一番多いのは、中京圏の学生。
受験日程の都合でね。
次いで関西圏、関東圏と続き、僕みたいに遠くから入る人もいます。
県内でも長野とか、飯田とか。
松本近辺から信大に入り、自宅から通える人は、極めて少ないんです。
他地区から宿所を探すのは、実は結構難しい。
信大は後期日程で、合格後の日程に余裕がないこともあって、手軽で容量も大きい浅間ハイツは、結構重宝してたと思いますよ。
そんな学生、当時は男の子だけにだけど、「頑張って!」とビラを渡す。
「合格したら、来てね!」の意も、暗にね。
もうひとつあります。
在松生からバイト候補生の確保。
経営者も世話役の女性も、夜には帰ってしまいます。
夜のあれこれを、残った上級生をバイトとして雇って、任せるのです。
毎年何人かに、声を掛けてたようです。
在松生といえども、卒業すれば入れ替わりがありますからね。
僕も、この要員として、5年勤めました。
夜の仕事も、結構あるんですよ。
100人近くいれば、結構電話がかかってきます。
取り次ぎは当時、手動でしたから、事務所に電話を取り次ぐ係員が要るのです。
時には、伝言を頼まれたりね。
荷物を渡してくれと言われることもあります。
室料も出納しました。
ほんの最初だけですけど、食事を出していたので、「検食」として夕食がでたことも。
お風呂がある時は、掃除と、ボイラーの停止。
お風呂は広い大浴場でしたけど、独占できていいんですよ♪
さらに冬場は、セントラルヒーティングの操作もありました。
それに、バイトとして残る在松生は、少なくとも1年は松本で過ごした、先輩なわけです。
世話役として、結構いろんな対応、しましたよ。
相談に乗ったり、苦情も受けたり。
アル中で倒れた子に付き添って、救急車にも乗ったなぁ…。
一晩、付き添いましたよ。
事務所にはテレビがあって、宿のバイト仲間と一緒にいて、テレビ見ながら喋ったりね。
楽しいひとときでしたね~♪
(もちろん、仕事しながら)
テレビはバラエティ番組だったり、時代劇だったり、野球だったり、当時始まったJリーグだったり。
横浜フリューゲルスファンだったので、横浜マリノスファンの先輩とは、熱く語り合いましたよ~♪
そうそう、学生の入れ替わり時期は、荷物の搬出、掃除や修繕、搬入なんかもやりました。
荷物の多い子も、少ない子も。
中には備え付けのベッドじゃなくて、わざわざ自分のを送りつけた人もいたなぁ…。
この時、バイト組は新入生に顔を覚えられ、何かと世話も焼きますから、新入生としても親御さんとしても、安心だったと思いますよ。
このタイミングで、僕自身も、もっといい部屋に移ったりね。
角部屋なんかは条件もいいし、ちょっとだけ広いので、上級生の特権です。
あと、この時期は出入の電器屋さんが来てて、電気製品を売ってくれましたし、屋上にアンテナも立ててくれます。
壁に配線がないので、窓際に垂らして、窓から引き込むんですが、何年もすると、劣化して。
風でアンテナの向きが変わったことも、あったかな?
自分でもあれこれやるうちに、アンテナ関係の知識は付きましたね。
テレビのフタを開けて、ブラウン管も調整したり。
パソコンのモニターにも使ってたので、水平にしたかったんですが、思いっきり感電したりして!!
結構いろんな経験が、できました。
部屋そのものはそれほど広いわけでもないし、冷房もなかったけど、
「バス付き(大浴場)、トイレ付き(共同)、バイト付き(!!)」
って物件は、なかなかあるもんじゃありませんよ。
良いところに、住まえたと思います。
次の思い出は、こちら
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com
前の思い出は、こちら