今回は表裏とも、趣味の話で。
鉄道趣味歴は広く浅くですが、歴の公称は「年齢-1」です。
1歳の頃、近くの豊田電車区(豊田車両センター)にいた、当時の101系にえらい喜んだのが、鉄の始まりです。
その後は、幾つかの時代がありまして。
1.東武時代
2.小田急・相鉄時代
3.鹿児島時代
4.帰省時代
4の帰省時代は、松本の大学にいて、実家が九州にあったので、帰省が必ず旅行になったため、旅程を組む力とか、経由地をかえるなどの発想力とかが身についた、大事な時代です。
でも、転機となったのは、3の鹿児島時代でしょう。
中学1年の時、関東から鹿児島へ、移り住んだのでした。
それまでの僕の経験は、基本的には電車・直流。
特急は「とき」と「あさま」で、横軽なども体験した、貴重な時代ではありました。
でも、鹿児島にいたのは、電車は交直流車。
457系とか475系とかが、普通列車に格下げされて、走っていました。
中にはグリーン車の格下げ車もあって、リッチな気分で乗れましたね。
でも、お気に入りの位置は、中間電動車のデッキでした。
モーター音は、関東のそれとは微妙に違っていて、音を楽しんでいましたね。
音と言えば、鹿児島地区に普通にいたのが、「気動車」
キハ58(写真はらくだ号)の他、キハ52、キハ53、キハ47などがいました。
気動車はアイドリング音から始まって、「変速」で発車、スピードが乗ると「直結」に切り替わって、加速、最後にはエンジンを切ってしまうと言う、リズムがなんとも言えず好きで。
気動車の虜になるのには、時間はかかりませんでした
「はやぶさ」は全線、乗りましたね~!
B寝台だったので、相席の人々に可愛がってもらったりね♪
「なは」も西鹿児島発着でした。
「ソロ」が連結される前の姿です。
「明星」は、駅で撮ったのが最初で最後でしたねぇ…。
こんな列車も。
急行「日南」
座席車には乗れました。
今から思えば、20系寝台にも乗っておけば、よかったなぁ…。
あの頃は華奢だったから、上段でも中段でも、寝れたと思います。
ここまででも、幼い鉄の僕には相当、刺激的ですが、
まだあります。
路面電車。
鹿児島で「電車」と言えば、これを指します。
国鉄(JR)は、たとえ電車でも「汽車」と呼んでいました。
これも、刺激的でしたね~♪
道路の真ん中を、車に混じって、電車が走るんですから。
これは、後の写真ですが…
「黄色い矢印」も、ちゃんとありました。
鉄道好きの人は、一分野を極める人が多いと思います。
乗る一辺倒、撮る一辺倒、駅弁や方向幕、音、車窓、国鉄フォント、…
でも僕は、中学生の多感な時期に、それまでには全く見たことがない、様々な鉄道風物に出会うことが出来た。
そもそも、大都市の密集だった東京とは、まるで違う鉄道事情に触れることが出来たわけです。
おかげで、一分野にこだわらない、「ゼネラリスト」的な鉄になりました。
僕の鉄道趣味を、三次元的に広げたという意味では、鹿児島での数々の鉄体験は、それはそれは大きな「転機」だったのですよ。