路線バスで、鹿屋市へ着きました。
都城を経由したのは、諸事情って言うことで…
鹿児島交通バスでした。
鹿屋市には、弟が住んでいます。
今は草加半分ですが、比較的あちこちを均等に住んだ僕と違い、彼は鹿児島時代が長い。
やっぱり鹿児島が一番愛着があるようで、鹿児島県内の仕事をしています。
とは言え、これは鹿屋で入手するのは難しいので…
加治木まんじゅうです。
弟が小学生の頃、隣の姶良町(現在は姶良・加治木とも姶良市)に住んでましたから、馴染みがあります。
喜んでもらえましたよ♪
ラーメンを。
塩ラーメンは、この度では初めてです。
あっさりの中にもコクがあって、美味しかったですね。
鹿児島ラーメンは、とんこつ以外のラーメンだって、あります。
さて、鹿屋市の施設と言えば、こちら。
航空ですが、海上自衛隊の基地です。
飛行機は、たくさんいますよ。
これは、チヌークかな?
海上自衛隊の大きな任務として、対潜防御があります。
その一躍を担ってきたのが、このP-2Jです。
今は後継のP-3Cが、活躍してますね。
過去には、こんな大きな水上飛行艇も、在籍していました。
戦前の話だそうです。
さて、史料館があるので、入ってみました。
肖像権の関係で、2階の旧日本海軍時代の展示は、零戦のみ撮影可能です。
知覧と共に、ここ鹿屋からも、多くの特攻機が飛び立ち、帰らぬ旅に出て行きました。
実際、成功したのはごくわずかで、多くは海上に墜落、このような結果になっています。
錦江湾から、引き揚げられたものだそうです。
「永遠の0」でしたっけ?
「特攻は成功しても失敗しても、待っているのは“死”だ。
こんなむごい作戦はない」
本当に、そう思います。
今の海上自衛隊のコーナーは、撮影可能です。
レーダーなんて、撮っていいのかな?
こちらは、飛行機のかな?
さて、売店ではお土産をいろいろ。
出題ネタも、仕入れて♪
さて、もう一つのスポット。
鹿屋市内を走っていた、大隅線の旧鹿屋駅です。
周辺の駅名標が、保存されていました。
いたのは、キハ20 441号車。
1エンジン両運転台車ですね。
車内は、日豊本線などを走っていた、2エンジンのキハ52と変わりませんから、僕らも馴染みがあります。
当時は、灰皿がありましたね。
便所も、当然の設備でした。
停車中に、使用してはいけないのは…?
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.jp
さて、駅舎部分は、記念館になっていました。
こちらも、サボとか方向幕とか運賃表とか、僕らの時代に合ったものがたくさん展示されていて!
2人で、昔話に花が咲きました♪
これ、何故か電気機関車のもの。
大隅線は非電化路線ですから、入れないんですけどね…。
もう少し時間があったので、いろいろ話して。
彼は僕と違い、家庭も子供もあります。
仕事も、僕よりはかなりキツく、残業も多いそうです。
彼なりの、苦労話を語ってくれました。
ありがとうございました。
高速バスで、鹿児島空港へ向かいました。
旧交を温める、貴重な時間でしたよ。