丹後国から、西へ進みます。
同じく「たんしゅう」ですが、「但州」、但馬国です。
領域は豊岡市のほか、養父市、朝来市(一部)、美方郡が含まれます。
美方郡には香住、浜坂といった街がありますね。
中でも拠点となる都市は、豊岡市です。
中心部からバスで40分ぐらい走ると、かつての中心・出石地区です。
シンボルは、こちら。
「辰鼓楼」
実はその名の通り、太鼓を叩いて時刻を知らせるための、楼閣だったんですよ。
辰はだいたい朝の7時から9時で、登城を知らせる太鼓だったそうです。
その後、オランダ製の機械式時計をはめられ、現在に至りますが、大病で願掛けをした蘭方医が、平癒の感謝を込めて、オランダの時計を寄贈したそうです。
松の木を入れて。
マンホールも、辰鼓楼!
さて、こちらも行ってみましょうか。
出石城にある、有子山稲荷神社。
有子山は応仁の乱で有名な、山名氏ゆかりです。
実は、山の上に上がると、展望が利くらしいんですが…
1kmもあるんですよね~
山道の1kmは、平地のそれとは、全然違います。
時間もないし、雨だし。
街へ、降りましょう。
旧出石町の、役場です。
実は、半旗でしょ。
撮影は3月11日。
東日本大震災の日でした。
出石の町並み。
古く、趣のある街です。
実は、そばが名物です。
地区には結構な数の、そば屋さんがあります。
そう言えば、出石城にこんなお堂が!
江戸時代の当地を治めたのは、仙石氏です。
実は、初代の仙石政明は、信州・上田からの赴任!
この殿様はさすが信州人です。
おそば大好き!!
国替えに当たって、信州から腕利きのそば職人を連れてきて、広めたそうですよ♪
これが、出石そば!
やや黒く、麺も太めで、食べ応えあり!
ちなみに、元になった信州そば。
こちらは、白っぽい、上品なそば!
出どころは同じでも、ところ変われば、ですね。
味がいいのは、同じですよ♪
さて、豊岡からはさらに西、浜坂を目指します。
こんな気動車!
城崎は寄りませんが、高級な温泉地です。
近年まで、宿に内湯がなく、外湯めぐりを楽しむ湯処として、知られています。
程なく、列車は日本海へ。
この日は風が強く、荒れていました。
小さな入り江に家屋が密集する、日本の漁村です。
これ、何だかわかります?
掛け替えられた、餘部鉄橋です。
往時は、こんな橋でした。
実は、僕も渡ったことがあります。
もう、15年前ですね。
リバイバルのキハ58系「急行白兎」で、ゆっくりと渡っています。
架橋は大正時代の、1912年。
トレッスル橋という、鉄筋で末広がりに編まれた橋脚に、橋桁を乗せるタイプで、陸上の橋に向くそうです。
ここは、山が海岸まで迫るため、海沿いには線路を敷けず、トンネルも長くなり、難しかったので、鉄橋で空中を通すことにしたそうです。
ただ、戦後は老朽化し、騒音や落下物、自殺もあったそうで。
風にも弱いため、運行支障や事故もあったため、惜しまれつつ掛け替えられたそうです。
今は一部が「空の駅」として残され、遊歩道になっているそうですよ。
さて、浜坂駅に着きました。
この辺りでは大きな拠点で、ここで乗り換えになる場合が多いです。
きっぷは「下車前途無効」でしたが、乗り換えに時間があるので、駅員さんのご厚意で、改札を通らせてもらいました。
ありがとうございます♪
こんなスタンプだったんですね。
そう、浜坂と言えば、カニです!
冬にもなると、「かにカニはまかぜ」号など、カニ食い専用の臨時列車が走りますよ!
…まぁ、僕の財力では。。。
ちくわ!
カニ入り…
温泉も、いくつかあります。
湯村温泉は、バスで行きます。
さっきの餘部鉄橋の看板は、ここにありました。
「鉄子の部屋」なんてネーミングですが、昔の鉄道遺品が、たくさんあります。
「本物の餘部鉄橋の柱」まであったのは、すごかったです。
遺品と言えば、これが残されていましたね
蒸機時代の、給水塔です。
蒸気を使う以上水は石炭以上に重要ですからね。
次は71・因幡国です
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69・丹後国
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