文京区、旧本郷区にあります。
赤門。
この門は、将軍家・徳川家斉の娘(21女!!)、溶姫が、前田斉泰に輿入れする際に、設けられた門だそうです。
朱塗りだったので、当時から「赤門」と、呼ばれていたそうですよ。
当時は既に幕末。
加賀藩は百万石を擁し、将軍を支える立場でしたから、このような結婚が実現したんでしょうが、将軍家との付き合いは、藩政を圧迫することになり、溶姫は藩内では、むしろ恨みの対象にもなったとか。
男子は3名産みましたが、いずれも不遇だったようで、溶姫の生活は、かなり辛いものだったようです。
明治維新を契機に、加賀国に帰ったものの、心労と旅の疲れか、金沢到着後、わずか1ヶ月で亡くなったそうです。
享年56歳でした。
東大、通りました~♪
ちょっと字は違いますが、受験生諸君は願うといいかもしれませんね。
「問題が解(溶)けますように…」
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