この週末も、運転でした。
施設に入った親戚の家がある、渋谷まで。
今回、故郷・上田の施設に移ることになり、家を引き払うんですが…
この方、クリスチャンで。
「教会の牧師さんに、挨拶をしたい」と。
再び、車で渋谷へ行くことになりました。
教会は、移転していて。
新しいビル!
中渋谷教会。
プロテスタントの教会です。
プロテスタントの中でも、「長老派」とか。
今日の礼拝。
信者の方が、書いたそうです。
消毒して、外来(紹介)の受付をして、礼拝堂へ。
新しい礼拝堂ですね。
窓が高く、明るい感じです。
パイプオルガンも、備えられています。
偶像崇拝を禁じるプロテスタントらしく、シンプルなデザインですね。
ここでも、コロナの影響が。
椅子は6~8人掛けですが、座れるのは一人のみ。
定員の数分の一しか、礼拝堂には入れません。
子供の礼拝も、一緒には出来ないそうです。
他にも、いくつかの行事が執り行えないそうで、残念な思いをしているそうです。
静かな、厳かな雰囲気の中、パイプオルガンが響き、礼拝開始。
パイプオルガンは、思ってたよりも優しい、温かい音色でした。
司式の女性のもと、厳かに礼拝が続きます。
恐らく、通常なら一緒にお唱えするところを、「心の中で」聖書を読みます。
素人で恐縮ですが、いただいた聖書の写しを、一身に追いました。
牧師さんの、説教。
そう、「聖書を読み解く」ことです。
テーマは「分かち合う力」
経典として、旧約聖書レビ記第19章1~18節と、新約聖書の使徒言行録第四章32~37節が、示されました。
レビ記を読むと、「~しなさい」「~してはならない」という文が、連なります。
これだけを見ると、確かに、いわゆる「説教」、教訓を堅苦しく叱りつける意味に取られそうですが、実は信徒の自主的な掟であり、隣人愛を実現するために、こういう取り決めが必要と、決めたことだと言います。
「規則を守ることをよしとするあまり、規則にとらわれ、規則さえ守っていればいい、とするのは、本来は逆。
愛を実現するために、規則がある」と。
なるほどね~
洗礼についても、
「水で洗い流すことで、一度死ぬ。
キリストのように
復活の如く、蘇るために」と。
確かに、信者になるための、一大行事なんですね。
そして、「分かち合う心」は、信徒言行録から。
信仰を守り、教会を建てるために、人々は自分の土地を売り、捧げたといいます。
そのお金は貧しい人に分け与えられ、教会の運営資金にもなったそうです。
もちろん、人間は不完全な生き物ですから、争いもあったり、不満も不公平もあったりするんですが(次週やるそうです)、こういった「分かち合う心」が、初期の教会、そして信仰を、支えていたんだそうです。
賛美歌が流され、礼拝は終わります。
礼拝って正直、もっと堅苦しかったり、説教じみたものかと思っていました。
でも実際には、人間の良さも悪さも、そして人間を超越する神の教えを、優しく、わかりやすく読み解いてくれる会なんですね。
ちょっと、宗教の見方が変わった、ひとときでした。
最後に、お知らせを。
この教会で、結婚式を挙げた方がいたそうで。
コロナの影響で、盛大には出来なかったけど、温かい式が出来たと、報告されました。
また、親戚が、草加の施設から、久々に礼拝に来れたこと、近々故郷の上田の施設に移ることも、紹介されました。
「場所は遠くなるけど、温かく送り出しましょう」と。
こういう、コミュニティ的な側面も、宗教のつながりの良いところだと思います。
僕は仕事・家族の他に、趣味の友達だったり、地域の友達だったり、病気関係の仲間もいます。
宗教でのつながりも、こういった「第三のつながり」に、属すると思います。
生活していく上で、仕事・家族ほど密接ではないけれど、人生をよりよく、より楽しくくれる、大切なつながりです。
親戚にとっても、きっと大切な縁なのでしょう。
久々に旧交を温められ、旅立つ挨拶の手助けが出来たことを、うれしく思います。