古い家のお話です。
今はあって、新築当時の1970年代にはないもの。
「ネット環境」!
それまでの湯河原では、インターネットを引いていましたから、草加でも普通に、ネット環境を求めました。
ダイヤルアップも、したかも知れません。
これは、草加に帰る前ですが、父が変なものをダウンロードした結果、ダイアルアップ先が海外の小島に設定され、莫大な料金を請求されかけたことがありました。
次第に、今では死語になりつつある、ADSLになり、常時接続が実現しました。
「Asymmetric Digital Subscriber Line」。
「非対称デジタル加入者線」と訳されますが、通常の電話線に、周波数の違う電波を乗っけて、常時接続を実現するものでした。
“非対称”なのは、下りである、サーバーから加入者への線の方が、上りの加入者からサーバーへよりも、遙かに高速、高容量に設計されていたんです。
サーバーからは、画像とか動画とか、容量の大きいデータを送りますが、加入者からは応答信号だけなので、回線容量は小さくていいわけです。
このADSLにより、「ページを読む時だけ回線をつないで、一気に読んで、すぐに回線を切る」って動作は、不要になりました。
ただ、古い家です。
電話から受電するのは、玄関だったかな?
ADSLのサービスは、ここまで。
ここからは自分で、宅内にネット環境を構築しなければなりません。
基本、電話回線にスプリッタという装置を経由させて、ネット用の電波を分けます。
電話線の端子があれば、そこからネット用のモデムにつなぐことが可能でした。
ただし、当時僕の部屋が合った、2階までLANケーブルを引くわけにはいきませんでしたから、無線を使いました。
今で言う「Wi-Fi」ですね。
当時、2階の僕の部屋は、テレビ線とか、録音録画用のアナログ線もありましたから、結構いろんな線が張られていましたね。
こうして、僕の部屋にも常時接続が実現されたんですが…
実は、夕方を中心に、回線が非常に遅くなることがありまして…。
無線は「IEEE802.11b」という、11Mbpsの企画を使っていましたが、実はこの電波、電子レンジが干渉するのです。
なので、巨匠が夕食の準備をする頃には、ネット環境が悪くなるのでした…
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