螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

草加市の思い出・18…

古い家のお話です。

 

今はあって、新築当時の1970年代にはないもの。

「ネット環境」!

それまでの湯河原では、インターネットを引いていましたから、草加でも普通に、ネット環境を求めました。

 

ダイヤルアップも、したかも知れません。

これは、草加に帰る前ですが、父が変なものをダウンロードした結果、ダイアルアップ先が海外の小島に設定され、莫大な料金を請求されかけたことがありました。

 

次第に、今では死語になりつつある、ADSLになり、常時接続が実現しました。

「Asymmetric Digital Subscriber Line」。

非対称デジタル加入者線」と訳されますが、通常の電話線に、周波数の違う電波を乗っけて、常時接続を実現するものでした。

“非対称”なのは、下りである、サーバーから加入者への線の方が、上りの加入者からサーバーへよりも、遙かに高速、高容量に設計されていたんです。

サーバーからは、画像とか動画とか、容量の大きいデータを送りますが、加入者からは応答信号だけなので、回線容量は小さくていいわけです。

 

このADSLにより、「ページを読む時だけ回線をつないで、一気に読んで、すぐに回線を切る」って動作は、不要になりました。

ただ、古い家です。

電話から受電するのは、玄関だったかな?

ADSLのサービスは、ここまで。

ここからは自分で、宅内にネット環境を構築しなければなりません。

 

基本、電話回線にスプリッタという装置を経由させて、ネット用の電波を分けます。

電話線の端子があれば、そこからネット用のモデムにつなぐことが可能でした。

 

ただし、当時僕の部屋が合った、2階までLANケーブルを引くわけにはいきませんでしたから、無線を使いました。

今で言う「Wi-Fi」ですね。

 

当時、2階の僕の部屋は、テレビ線とか、録音録画用のアナログ線もありましたから、結構いろんな線が張られていましたね。

 

こうして、僕の部屋にも常時接続が実現されたんですが…

実は、夕方を中心に、回線が非常に遅くなることがありまして…。

 

無線は「IEEE802.11b」という、11Mbpsの企画を使っていましたが、実はこの電波、電子レンジが干渉するのです。

なので、巨匠が夕食の準備をする頃には、ネット環境が悪くなるのでした…

 

 

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