螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

今川橋・「黄金餅」の思い出・13…

※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。

 

今は、交差点ですが…
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170701155507j:image

川が、あったんですよ。

 

もちろん、今川橋もありました。

実際には交差点よりも、やや南になりますが。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170701155552j:image

 

架橋には、当時の名主、今川善右衛門さんが、尽力したそうですよ。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170701155609j:image

 

川は「龍閑(竜閑)川」と言いまして。

日本橋川からの、いわゆる水路だったそうですが、河口付近に「井上竜閑」という接待役が住んでいたそうで、この名が付いたそうです。

 

竜閑橋は、その河口付近にあった橋。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708214906j:image

 

大正15年架橋。

日本初の鉄筋コンクリートの橋だそうです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708215035j:image

関東大震災を受けて、架けられたのかも知れませんね。

 

水道局などの合同庁舎や、スポーツセンターなどがあり、上空には首都高速都心環状線が通るので、直接川岸までは行けないんですが、隣の鎌倉橋から、それらしいところを撮ってみました。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708220357j:image
暗渠らしきものが、写ってますね。

ただ…
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708221128j:image

これは昭和通りを渡るところにある公園。

竜閑川は「埋め立てられて」いるようですね…。

看板にもあるように、この川は千代田区(旧神田区)と中央区(旧日本橋区)の、区界をなすんですよ。 

 

とは言え、川筋はそんなに広くはなかったらしく、路地ぐらいの細い道筋が、今も残っているようです。

思いっきり脱線!になりますが、竜閑川の川筋を追ってみました♪

 

今川橋のある、中央通りを渡ってしばらく行くと、いつかやった「福ちゃんのための」福田稲荷神社も、竜閑川沿いにあります。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708220817j:image

猫にも出会えた♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708220902j:image
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708220938j:image

路地は狭く。

ビルの谷間!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708221221j:image

 

下水道局の管理のようですね。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708221236j:image
埋めたと言っても、元々川の窪地です。

下水管でも、埋まってるんでしょうね。

 

さらに進むと、こんな公園が。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708215339j:image

そう、まさしく竜閑川は、ここまで流れていたのです。

 

こんなだったのかな?
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708224910j:image

 

隣には神社が。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708221317j:image
竹森神社と言います。

神と崇められた神社の森、「江戸七森」の一つです。

 ・烏森(港区新橋)

 ・椙森(中央区日本橋堀留町

 ・柳森(千代田区神田須田町

 ・吾嬬森(墨田区立花)

 ・初音森(中央区日本橋

 ・笹森(台東区谷中)

 ・竹森(中央区日本橋小伝馬町・当所)

 

実はここで、川は南東方向に折れます。

 

さらに川筋は続き…

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708215552j:image

江戸通り国道6号線)を渡る橋、鞍掛橋を渡って、さらに進むと…
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708225052j:image


f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708225208j:image
公園に出ました。

 

まだまだ先は長いんですが、ここまでにしましょう。

この先は浜町、箱崎を通って、隅田川に注ぎます。

 

ところで、さっきの公園に戻ると…

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708224910j:image

実はここから、北西方向にも水路が伸びていたそうです。

 

後になって水路が引かれたそうで、靖国通りの大和橋を渡ると…

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20170708215213j:image

 

この先しばらくで、神田川です。

 

江戸は水の都。

水路の街でした。

今でこそ、道路が縦横に走っていますが、江戸当時は水路が、網の目のように張り巡らされていたと言います。

水は直接生活にも使ったでしょうが、道よりも遥かに摩擦抵抗が小さい水路は、重い荷物、大量の荷物を、小さな力で運べる、重要な交通インフラでもあったんですね。

 

あれから数百年がたちましたが、少しはその痕跡、見つけられたかな?

 

 

そろそろ次へまいりましょうか。

 

次は「本銀町へ出まして…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

 

振り返って「鍛冶町へ出まして…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com