螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

松本空港の思い出…

大学時代を松本で過ごした者にとっては、特に思い入れのある空港ですね。

そもそも、鹿児島から大阪経由で、松本に降り立ったんですから。

当時流行っていた、パノラマ写真が残っていました。
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※ 写真は後日のものです。

 

当時の航空会社は日本エアシステム

YS-11でした。

 

搭乗した大阪-松本線は、同社の中でも屈指の、機窓の良い路線として知られておりました。

プロペラ機のYSなので、あまり高く上がらないため、アルプスの山々を縫うように飛ぶのです。

乗ったのは春先でしたから、雪を被った美しい山並みが、機窓に広がっていました。

 

その写真が残っていれば良かったのですが…

手元に残っていたのは、こちらでした。

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搭乗券。マークはまだ、東亜国内航空時代のままですね。

当時も全日空などは自動改札でしたが、日本エアシステムは昔ながらの“もぎり”で、搭乗券を切っていました。 

 

ちなみに裏は広告になっていて…
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こちらを懐かしむ方も、いらっしゃるかも知れませんね。

エプソンはパソコン、作ってたんですよ!

 

とは言え、この当時の松本空港は、滑走路の短さからYSしか離着陸できず。

支援システムも貧弱なため、輸送力の大きいジェット機を就航できませんでした。

発着は大阪便が3往復。

これとて、高速バスや新幹線(名古屋乗換)に脅かされていました。

 

そこに沸き上がった、空港リニューアルによるジェット化。

滑走路を延長、施設も近代化して、新たな路線を開拓しようというものでした。

時は長野オリンピックが決まって、海外からのお客や関係者の受け入れのため、輸送力の増強が叫ばれた頃。

「長野へは新幹線が決まったんだから、松本空港はジェット化しろ」みたいな、むき出しな意地のようなものも、当時の地元テレビや新聞からは伝わってきました。

 

長野と松本は、仲が悪い、というか、張り合っていたのです。

 

そんな悲願が実って、1994年にリニューアル開港。

ジェット機MD-87型機が就航し、隔日ながら新千歳と福岡へ、新たな路線が増えました。

これも、飛行機の写真が残っていれば良かったんですが…

残ってたのはやっぱり、搭乗券でした。
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多分初年度だと思うんですが、帰省時に1回、福岡便を利用しています。

通路側のようで、あまり機窓は見えなかったのかな?

その後の利用はありませんでした。

今から思うと、鹿児島まで行く場合の、「経由地」としての福岡の価値は、東京・名古屋・大阪の3都市よりも高いんですけどね…。

JRへの乗換は、楽ですし。

 

そう言えば、距離が短い大阪便は、YSのまま残ったんじゃないかな?

これにも、もっと乗っておけば良かったと、今になって思います。

 

そして1998年、長野オリンピック開幕。

松本空港は全世界からの乗客を受け入れ、フル稼働したそうです。

 

しかし、その後の乗客は、伸び悩み。

地理的に東京便を作れず、大阪便も競争過多で、現在は季節便扱いとなると、空港の存続は厳しいものがあります。

 

いくつかあった就航都市は整理され、現在は福岡便が2便、札幌便が1便。

日本エアシステム日本航空に統合、その後破綻、松本から撤退し、現在はフジドリームエアラインズFDA)が運航しています。

 

フジドリームエアラインズと言えば、カラフルな飛行機を運航することで有名な航空会社。

運試し、色試しに、久々に利用しても、いいかなぁ~なんて思います。