…白いけど。。。
それまでの日光街道よりも、数100m西に設けられた、バイパス道路です。
開通は1967年。
僕が小さい頃から、既にありました。
当時の短い足では、渡るのは大変だった印象があります。
今はこちらが国道4号線ですが…
バイパスが欲しいくらいの、混雑道路です。
取って代わられたのが、こちら。
越谷市で撮ったものですけどね…。
「日光街道」
地元では(県道49号線から)「ヨンキュー」とも、(旧国道4号線から)「キューヨン」とも呼ばれます。
重要な幹線の一つで、いつも混んでいますね。
この通りの一本西へ入った道路、正確には県道49号から西へ別れて併走する道路ですが、昔から往来、生活に使われた道路です。
「旧日光街道」なんて呼ばれたりしますね。
びっしり店が並んで、活気がある!とまではいきませんが、史跡や昔ながらの商店も残り、しっとりとした味わいのある道になっています。
道は昔は広い部類だったんでしょうが、今の尺度では狭いですね。
歩道はないものの、車は一部を除いて一方通行で、車道の脇にに歩行者用のゾーンを広くとってあるので、比較的歩きやすい道になっています。
今回は北から南方向へ、歩いてみることにしますね。
北側の入口は、「神明町」交差点!
2つあるけど、北の方です。
ナマズの主は…
地元の建築会社「サン勇建設」。
ナマズに強い家を目刺し、もみの木を使った家を提唱しているそうです。
ここを曲がるわけですが。
像が建っています。
河合曽良。
没したのは壱岐だそうな。
随分旅をしたものですね。
この辺りは、「おせん公園」という広場になっています。
道の反対側は…
おせんべい!
花崗岩のおせんべいと、御影石の箸だそうです。
近くの神明宮にお詣りして、南下すると…
早速、おせんべい!!
ここ、堀井商店のおせんべいは食べたことがなかったので、四択に!
こんなかわいいのを売ってました♪
答はこの近くの、「おせん茶屋」で!
畳敷きの小上がりがあって、そこでいただけます。
でもこの日は、女の子の3人組が、楽しそうにぺちゃくちゃ♪
邪魔しないことにしました。
この通りには他にも何店か、おせんべい屋さんが店を構えます。
おせんべいは、「おせんさん」と言う女性が考案したというのが、市内では定説になっています。
元々は評判のお団子屋さんで、余った団子を使えないかと考えていたところ、立ち寄ったお武家さんが、お団子を潰して天日に干して、焼き餅にしたら、というアドバイスをくれ、これがせんべいの始まりになったと言われています。
これが後々まで、草加の人々のアイデンティティーにまで、なるとはね。
こちらは、東福寺。
写しませんが、広いお墓を抱えます。
この辺りの、菩提寺なのでしょう。
緻密な彫刻が、見事!!
学校へ続く校門。
今日は秋晴れでした♪
さて、道は中心部に近づき、商店が増えてきました。
その辺りに本陣跡があります。
大川家は江戸中期まで本陣を務め、後に清水家に本陣を譲っています。
大川家の元をたどると、大川図書と言う人物が出てきます。
あっ、“ずしょ”ですよ。
かつて、書物や文房具等を取り仕切った部署が、あったそうです。
大川図書は、草加宿を開くのに、多大な尽力をした人です。
湿地を土、柳、草まで使って埋め、土地を拓きました。
ここで“草を加えた”ので、「草加」なのですよ。
駅前通の手前に、八幡さまがいらっしゃいます。
以前は前にお店があって、鳥居は窮屈そうでしたが、取り壊されたようですね。
静かな、お社です。
駅前通りを渡りまして。
しばらく進むと、こんな道標が。
今日は行かなかったけど…
草加では格の高い神社です。
こちらも、通りの名前に名が残りました。
南無阿弥陀仏、と…
更に南下すると、市役所へ出ます。
市役所は別の会でやるとして、
一角に、お堂があります。
地蔵堂だそうで、この辺りが開発されたときも、残されたそうです。
現代の旅籠を過ぎると…
ここが、草加宿の南側の終点です。
今様・草加宿。
大川図書の草加宿整備から、400年が過ぎました。
戦後の宿場の変化は激しく、今も変化が激しい時代です。
そこで、昔の遺構が残っているうちに、今様に整備を行い、宿場町全体を再生、活性化させようという取組でした。
今日歩いてきたところにも、この事業で整備されたところが、たくさんありました。
草加を魅力ある街にするべく、市民の側にも一層の努力が、必要だと思います。