大阪版の「と」は、
「遠い一家より近い隣」です。
ここでの「一家」とは、親戚のこと。
何かあった時、頼りになるのは遠く、それも疎遠にしている親戚より、近隣に住んでいる他人の方だ、という意味になります。
人の付き合いといえば、まずは会社ですね。
収入に直結する、人間関係になります。
確かに気疲れはありますけれども、職場での人間関係は良好に保っていかないと、回る仕事も回らなくなります。
ただし、趣味とか家族とかも含めるような、あまり深い付き合いになると、公私混同の微妙な関係になってしまいます。
逆に言えば、私的な一大事に、会社の人を頼りにすることは出来ない、と言うことです。
趣味やSNSによる付き合いは、さらに緩いものになります。
楽しみのために付き合うには、時には本名や電話番号も知らない方が、都合がいい場合もありますね。
深くしても、オフ会までかな?
ただ、中には意気投合して、人生の友に発展する場合もあります。
一人か二人ぐらい、このような「親友」を見つけておくことは、人生をよりよいものにするには、大切なことと思います。
とは言え、この関係でも、プライベートの問題を解決する助けには、なりづらいです。
そのような危機の時に力となるのが、この「親戚」と「近所の方」なのです。
近所の方は、他人ではあるけれど、いつも顔を合わせる方々です。
怪我をした時、火事になった時、さらには災害が起こった時などは、遠くの人では時間的に間に合わない。
助け合えるのは、やっぱり近くに住み、お互いをよく知る近所の方なのです。
ただ、引っ越してきた時、挨拶はするものの、その後の付き合いを発展するのは、意外と難しい。
特にマンションなどでは、顔をつきあわせる機会も、ないかも知れません。
子どもでもいれば、子ども同士が仲良くなってってきっかけもあるでしょうし、お祭りや清掃作業などのイベントで、親しくなることも出来ますが、上の2つと違い、付き合うメリットをすぐには実感しにくいので、ハードルは高いですね。
それでも、地域の人とある程度は顔見知りになっておくことは、生活していく上で、とても大切なことなんですよね。
さて、ことわざでは「~よりも」なんて書かれていますが、遠くの親戚だって、親しくなっておくと、何かと有益です。
こちらは「お互い知りすぎる」だけに、かえって付き合いが難しい間柄ですが、危機の時は、その「知っている」ことが、大いに役に立つわけです。
いずれにしろ、力になってもらう以上は、こちらも有事には「力になる」ことも、肝に銘じなければなりませんね。