(敬称略)
パ・リーグに入ります。
「Exciting League !! パ!!」
トップバッター・西武ライオンズの本拠地は、所沢です。
最近、球団名は「埼玉西武ライオンズ」を名乗っていますけど、西武ファンでもなければ、レッズファンでもアルディージャファンでもない、“非県民”な僕…。
でも、埼玉って鉄道の沿線で地域が別れているので、西武沿線でもJR沿線でもない僕にとっては、あまり近くない球団なのです…。
それでも、例年1回か2回は観戦に行くんですが。
今年はついに一度も行きませんでした…。
自宅からも遠いけど、職場からは絶望的な、遠さなのです…。
一見、埼玉は交通の便が良いように見えますが、それは“対東京”の良さであって、県内の便は、あまり良くない。
でもどれも、あまり高頻度に走らせるわけにはいかない事情がありますから。
だから、車やバスで来る人も結構多くて、かなり渋滞が激しいそうです。
実は僕も、車で行ったことがあります。
その時は、航空公園に置いたのかな?
作戦としては、成功でしたけどね♪
本拠地の西武プリンスドームは、夏暑くて冬寒い、昼暑くて夜寒いドームとして?知られています。
後付けのドームなんで、仕方がないんですけどね。
春先やナイトゲームでは、かなり冷えます。
ホットコーヒーがよく売れるドーム球場も、珍しい!?
夏も近づく八十八夜ごろには、女の子がかすりの着物で、お茶を売りに来ます。
もちろん、「狭山茶」!!
なかなかいい味してます。
球場では、お気に入りの席があります。
内野自由席なんですが、ポール際は外野に張り出していて、もしかしたらホームランが飛んでくるかも??
しかも、カーブの具合によっては、一人席や二人席も!
内野自由を買っておいて、ちょっと早めに行って、席を確保、のんびりホークスの打撃練習を見ながら♪ってのが、パターンです。
もうひとつは…
ブルペンが見える席!
時には試合そっちのけで、投球練習見ていたり。
攝津とファルケンボーグ、そして馬原の「SoftBankMobile」の時代。
懐かしいなぁ…。
おおっと、西武の選手の話題が、全くないや…。
そう、西武と言えば、僕の巨人ファンを終わらせたチーム。
ホークスファンになっても、嫌になるほど強いチームって印象でした。
ホークス戦がごく稀に中継されても、解説は西武の選手を褒める褒める。
観客も、ホークスファンはごくわずかな一角に、押し込められてって感じでした。
…それでも、西武の優勝に待ったをかけた試合も、ありましたけどね。。。
自分で試合を見に行けるようになっても、中村がいたりカブレラがいたり。
松坂がいたり西口がいたり涌井がいたり。
油断してると、伊東にやられたりね。
見に行った試合では、小久保が勝ち越しホームランを打った直後に、カブレラにサヨナラホームランを被せられたり。
いい印象は全くありません。
それほど、強くて隙のないチームだったんです。
それからすると、今のチームは本来の西武では、ないですね。
でも、きっと立て直してくるでしょう。
西武ですから。
最後に、印象に残る選手を一人。
背番号14(のちに21)。石井貴。
最初は先発。
抑えも担ったり、大車輪で活躍した選手です。
実働14年。一軍では68勝、13セーブを挙げており、記憶にも深く刻まれる選手でした。
でも、この選手を応援していたわけではありません。
むしろ、ホークスをカモにしており、天敵とも言えるピッチャーです。
石井貴の生年は、1971年。
出身小学校は、綾瀬市立綾西小学校。
2年間、同級だったんです。
クラスも一緒で。
実は、隣の席になったこともありました。
もちろん、彼は当時から野球をやっていたはずですから、一緒に遊んだ記憶は、ほとんどないんですが。
あの頃の石井少年は、ワーワーキャーキャーするタイプじゃなかった。
でも、存在感はすごかったと思う。
結構面白いことも言うし、頭もよかった。
印象に残る、少年だったんです。
彼が現役で稼いだ年俸は、約9億円らしい!?
間違いなく、同級では稼ぎ頭でしょう。
でもその彼が、ファンチームのライバルチーム、しかもお得意さんにされていたとは、皮肉なもんですね…。
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