※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
「新シ橋」も、旧汐留川に架かっていた橋だそうです。
でも、場所以外はあんまり情報がなくて。
「新橋」とは別の橋です。
川の跡沿いに進むと、こんな不自然な曲がり道に出ます。
古地図を見ると、何本か道が通っていて、うち1本はカクカクッと、クランクになっているようです。
「枡形」でも、あったのかも知れません。
この先は、「虎ノ門」ですからね。
新シ橋があったのは、今だと西新橋一丁目交差点の、一本奥らしい。
「飯野ビルディング」の辺りらしいという話を、どこかで聞きました。
飯野ビルディングには、多目的ホール「イイノホール」があることで知られます。
500席の観客席を持ち、落語会や演奏会、お笑いなど、良質な文化芸能を提供しています。
よく、笑点メンバーが落語会の告知をする時に、この「イイノホール」の名前が出てましたね。
ちなみに親会社は、なんと海運会社。
舞鶴で創業、最初は石炭などを運んだ、海運会社だそうです。
行ってみましたが…、新シ橋の痕跡は、どこにもなし。
あったのは道路を渡す、「ゼブラゾーン」のみでした…。
そもそも、久保町からこの新シ橋を渡ったかどうかは、よくわかりません。
(最終的な)久保町とは、道の筋が違いますから。
とは言え、前回の通り、久保町も一度、移転していますから、「どっちとも言えない…」ってのが、答かな?
ただ、最終的に「新シ橋」がかかっている通りにぶつかって、愛宕方面に南下したのは、確かなようです。
せっかくなので、ちょっと寄り道して、虎ノ門へ。
本当に「虎」の記念碑があります。
由来を調べると、四獣神である「青龍(東・青)、白虎(西・白)、朱雀(南・赤)、玄武(北・黒)」から、西側にあったこの門には「虎」の名を付けたらしいです。
ただ、江戸城からすると、南のような気もしますけどね。
諸説あるようです。
蛇足ですが、大相撲で勝負審判が座る赤房下、白房下も、この四獣神を表しているんだそうですよ。
審判はいませんが、青房、黒房もありますしね。
そう言えば、「永田町」は議員さん、「霞が関」はお役人さん、「兜町」は証券屋さんん、「桜田門」はおまわりさんなどと言われますが、
特殊法人の事務所が、この地域に多くあったんだそうですよ。
地図を見ると、「日本たばこ産業」の本社がありますから、「専売公社」は、ここにあったかも知れませんね。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「愛宕下へ出まして…」
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振り返って「久保町へ出まして…」