※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
「飯倉片町」で通った、「植木坂」を抜けると、さらにまた大きな坂に出ます。
永坂です。
ズバリ、長い坂だったから、と言われます
今は坂の中央部を、首都高速都心環状線が通ります。
こちらは出口ですね。
外回りの出口で、飯倉片町の交差点の先に、内回りの入口があります。
麻布十番付近にある、一の橋JCTから(へ)の、片方向のインターですね。
「永坂上遊び場」
遊ぶには、かなり狭いけど…
鬼ごっこも、できない!?
見上げると、こんな看板が。
何と、「更科そば」の発祥は、この辺りなんだそうです。
最初の写真の「布屋太兵衛」は、その元祖も元祖!
発祥の地を示す、碑も立っていました。
白い「更科」に、汁が濃い「藪」、そしてルーツは大阪の「砂場」が、江戸の蕎麦御三家と言われます。
この辺りはそば屋さんが多いそうな。
試しにショーウインドウを覗いてみたら…
僕にはまだ、早いみたい…。
財力的に…
さて、坂をあらかた下りたところに…
「永坂」の碑が建っていました。
「長坂さん」説も、あったんですね。
諸説あるのが、歴史の面白さでもあり、悩ましさでもありますよね。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「十番へ出て…」
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com
振り返って「その頃、『おかめ団子』という団子屋の前を真っ直ぐに…」