備中国から、北へ進みましょう。
伯州、伯耆国です。
「ほうき」と読みますが、元々は「母来」だったそうで、八岐大蛇に襲われた娘が山へ逃げたとき、母が遅れたので、「母来ませ、母来ませ」と叫んだことに由来するそうです。
まだ、備中国の絵ですが。
この「やくも」という特急は、カーブで車体を傾けることで、速度を落とさないで通過できる、という仕組みを持っています。
なので、意外に早く着き、陰陽連絡の要を担っています。
でも僕ったら、この路線を普通列車だけで、走破したことがあります。
確か、5時間ぐらいかかったかな?
当時はスマホもないし、ぼぉーっと外を眺めて過ごしていたんですが、それがなんとも贅沢で、楽しい時間だった。
全然退屈することなく、列車に乗っていられたんです。
この頃から、僕は「乗り鉄」なんだなって、思い始めました。
そう、乗ってるのが楽しい。
うれしい♪
その頃から、長距離の汽車旅を、プランに組み込むようになりました。
効率重視なら、絶対選ばないようなルートを。
そこでもう一つ、決定的に僕を乗り鉄にする出来事があったんですが、それは「備後国」でのことでした。
さて、伯耆国に含まれるのは、米子市や境港市、倉吉市、三朝町などです。
多分、大山かな?
2004年の春です。
米子駅には、こんなモニュメントが。
松本零士?は久留米の出身ですね。
山陰で初めて鉄道が通ったのを、記念したものだそうです。
在りし日のキハ58。
境港でのイベントの一コマです。
雪かき車「キ」なんて、貴重品です。
米子から、廃止直前の急行白兎に乗りました。
山陰本線を進み、京都へ向かう急行でした。
JR西日本キハ58 1048号車でした。
列車としての「白兎」自体には、それほど思い入れはないものの、車両の「キハ58」には、鹿児島時代にさんざん乗りましたからね~
乗車中はひたすら、「音」を聞いていましたよ。
この時は渡った餘部鉄橋も、今は無きものとなりました。
あと、ツアーでこちらにも。
こんな断崖の窪みに、なんと!!
「投入堂(なげいれどう)」です。
そう、まるで何者かが投げ込んだようですね。
実際、決死の覚悟で行くことが出来るそうで(一般者は無理です)、法要も営まれるそうですけど、まさしく、命がけとはこのことです。
今だって、修復しようにも重機を入れられないんじゃないかな?
とんでもないものを建立したものです。
この時は三朝温泉に入りまして。
なんと、川に温泉があります。
GWの頃だったかな?
裸になって入った思い出があります。
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