今週のお題「わたしの実家」
実家から離れて暮らしていたのは、大学時代と湯河原郵便局員時代、13年間です。
大学は松本、実家はその間、鹿児島、厚木、長崎、草加と推移しました。
今は実家暮らしですが、当時はそれなりの独立心を持って、やってましたね。
家事なんかも、自分でやってました。
巨匠(母)に比べれば、簡易も簡易ですがね。
あと、当時できて、今できないことは、
「帰省旅行」
帰省自体が、旅行になるんです。
例えば松本時代は、実家は鹿児島ですから、多くの場合、どこかで飛行機を使うんですが、
東京まで「あずさ」かバスで出て、羽田から乗るルート、
名古屋まで「しなの」「ちくま」かバスで出て、名古屋空港(当時は小牧)から乗るルート、
大阪空港までYSで乗って、乗り継ぐルートがありました。
そのうち、松本空港がジェット化したので、松本から福岡まで飛んで、「つばめ」ってルートも試しました。
もちろん、新幹線や寝台特急を使ったこともありました。
ルートが、多彩だったんです。
そう言えば、仕事が終わってから新幹線に乗って、三原まで新幹線で行って、東京からだと乗れるはずのない、「さくら」を追い越して、乗り継いだこともありました。
トラベルミステリー??
極めつけは、松本を深夜2時前に、急行「ちくま」に乗り、普通列車を乗り継いで、博多から急行「かいもん」で西鹿児島へ入るというもの。
翌々日の7時過ぎまで、約31時間改札を出ず、乗りっぱなしなんて旅も、しましたよ。
食事は駅弁も駅そばもあり、売店だって各駅にありました。
トイレもたいていは駅構内・車内にありましたが、岡山-下関の長距離鈍行列車が、「暖房車(非冷房車)」だった!
暑い夏の移動だったので、堪えましたね~
帰りも、寝台特急で帰ったことがありました。
実家が長崎だった頃は、「あかつき」にも乗れて、稀少な「シングルツイン」も、体験できました♪
その間に、観光旅行を挟んだこともあります。
特に思い出に残っているのは、和歌山の太地を挟んだ旅行で、新大阪から夜行鈍行で、太地を目指しました。
ご存知の通り、太地は「くじらの街」。
鯨の博物館にも行きましたが、捕鯨に誇りを持って当たっている姿が、印象に残りました。
亀八屋の「てつめん餅」を、甘いものが好きな、父のお土産にしようと思ったんですが、「当日しか持たない」と言われ、海が見える公園に上がって、一人頬張ったのも、いい思い出です。
もう一つは、「天橋立」旅行。
言わずと知れた日本三景ですが、海から眺め、空から眺め、実際に歩くことも出来るという、立体的な楽しみを満喫しましたね~♪
大満足で、駅に戻ったのはいいが、ロッカーを開けずにホームへ出てしまう、大失態!
所定の列車に乗り遅れ、予定していた「北陸」号に乗れず…。
1万円以上の寝台券(個室A寝台だった!)を、フイにしました…。
でも、そのおかげで、深夜ながら「気比の松原」へ行け、これまた稀少な583系「きたぐに」にも乗れた、印象深い旅になりました。
実家では、良くしてもらいましたよ。
ごちそうしてもらったりね。
タイラガイを食べ過ぎて、胃を壊した!なってこともあったけど。
実家での時間が充実してこそ、帰省旅行も充実するんだとは、思いますよ。