螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

鹿児島県と姶良町の思い出・11…

鹿児島の離島と言えば、最も縁があったのは、種子島です。

前回紹介したように、旅行でも行きましたが、その後、弟がここで長年勤務しましたから。

時期的には前後しますが、関連しますので、ここで書いちゃいます。

 

弟が伊集院から移ったのが、2005年だったかな?

当時僕は失業中だったので、引っ越しの手伝いに行きました。

部屋は、ものすごく汚くてね~!

梱包よりもゴミの処理が大変で。

お風呂は全面、カビだらけ!

決死の覚悟で、カビキラー片手に格闘したのを覚えています。

 

引っ越しも終わって、帰るのに1日空けて、車を借りてドライブを。

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美しい、島の海です。

 

帰りは飛行機ですが、鹿児島便ではなく、大阪行きを選択。

天気のいい、昼下がり。

当時まだ、離陸時は写真が撮れなかったんですが、飛行機は島の上空を旋回しながら、大阪へ向けて旅立って行きました。

 

名残を惜しむかのように。

 

種子島から離れるときも、確か僕は失業中。

この時も手伝いに行きました。

この時は弟には家族がいたので、補助的にね。

電気系とか、パソコン周りとか、得意な分野を中心に、手伝いました。

 

種子島からの高速船では、たくさんのテープが投げられ、別れを惜しんでいました。

距離的には、鹿児島市では大したことはないかも知れない。

でも、大海原を隔てた向こう側は、心情的には大変、遠いのです。

こんな環境が、島の人を情に厚くするのかも知れませんね。

 

ちなみに、最初の引っ越しでは、弟が集めてたゲームミュージックを、ごっそり自宅に送付!(返しましたが)

録音して、今でも聞いてますよ。

 

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