螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

電話をかける…

21歳。

僕が初めて、“本格的に”アルバイトを始めた歳でした。

 

高校では、アルバイトは禁止でした。

大学でも、アルバイトなんてほとんどしてなくて。

誘われるがままに、単発のバイトを何本かした程度。

社会に揉まれていない僕にとって、アルバイトとは楽しいものでもやりがいのあるものでもなく、ただただ「怖いもの」、だったんです。

 

下宿先の電話番は、やってましたけどね。

下宿先は100人近くの大所帯で、外部からの電話がかかってる来るのを取り次ぐのが、主な仕事。

何たって、自分の住んでるところでバイト代がもらえる。

他にも、ほんのわずかな期間だけど、賄い(新入生用食事の検食)があったり、掃除かたがた、広い浴場を独占できたり。

3月から4月は学生の入れ替えの時期で、手伝いのバイトで臨時収入もありました。

事務室にはいなきゃいけなかったけど、かなり気楽で、美味しいバイトだったんです。

逆に言えば、“怖い?”外部のバイトなど、しなくてもよかった。

 

で、21歳は確か、3年生の11月頃。

松本郵便局にアルバイトを申し込むかどうか、一週間ぐらい悩みました。

暇をもてあましていたのと、以前、松本局では年末、配達のバイトをしたことがあって。

でも、相変わらずの恐怖感は、ぬぐい去れないでいたわけです。

 

電話、する?

怖いから、やめちゃう??

電話に手をかけては、やめ、電話に手をかけては、やめ…。

僕にとっては、こちらから電話をするなど、人の何十倍もの勇気が要ることだったのです。

 

でも、あるタイミングで、勇気を振り絞って、ダイヤルをしてみてしまった?のです。

「前やった仕事だから、大丈夫だよね…」

 

ところが、予想外の返事が。

「集配課ではなく、郵便課で仕事をして欲しい。

 年末と言わず、長期で!」

 

郵便課は、郵便を区分して、配達する集配課や、他の郵便局へのトラックへ、郵便を引き渡す部署。

ここに、ちょうど「あて名自動読取り区分機」が導入されたそうで、専属の職員を求められていたのです。

 

勢いもあってか、この話、受けることにしました。

 

それから、約3年かな?

僕としては初めて、日常の仕事として、このアルバイトに取り組んだのでした。

 

仕事は遅番や早番があって、キツい面もありましたけど、いろいろな人と会う機会があって、勉強も成長もさせてもらいましたね。

郵便の知識はもちろんだけど、やっぱり人との交流は、いろんな考え方に触れられる。

成功したことも失敗したこともあったけど、成功や失敗が出来る舞台が、そこにはあったのです。

 

自信も、付きました。

バイトの中で、区分機を扱えるのは、ごくわずかでしたから。

頼りにされると、自信は付くものですね。

 

今から振り返れば、社会へのデビュー。

第一歩でした。

 

ちなみにこの後、7年間郵便局員をやりました。

うつ病でやめることにはなってしまったけど、そこで覚えたExcelVBAが、今の職でも大きな武器になっています。

 

何もかも、あの時勇気をもって選択した、「電話をかけること」が、生み出したことなのですよ。

 

新石町・「黄金餅」の思い出・11…

※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。

 

 須田町の交差点を、南下します。
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ドーミーインがあったり。

ゴルファーに言わせると「(マッチプレイで)後がない!!」になってしまいますが、こちらは「dormitory(寮)」からの造語で、下宿のようにくつろげる宿、だそうです。

運営の共立メンテナンスは、社員寮などの運営会社ですね。

強みを生かした業種拡大だと思います。

 

実は、ある目標物を探してまして。

ん?
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神田鍛冶町に出ました。

 

資料を調べると…!!

実はこの辺り、新石町ではないらしい。

 

須田町交差点から南下した辺りは、新石町ではなくて、

「通新石町」

当時の中山道を挟むように存在した町です。

須田町で触れた青物市場は、この通新石町辺りまで広がっていて、八百屋さんの威勢のいい売り声が響く、賑やかな町だったそうですよ。

 

大体、この一八通りが境界のようです。
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岩本町から神田方面への、真っ直ぐな細い道です。

 

岩本町の起点付近。
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道中、こんな神社もありました。
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一八稲荷神社。

一日と八日に縁日があったそうで、この名前だそうですが…

実はこの神社、「防災」「盗難除」に、大変御利益があるとか。

東京を焼き尽くした空襲の時も、この神社のご加護のおかげで、この辺りの神田多町付近は、難を逃れたというから、相当なものです。

 

さて…

実際の新石町は、神田駅の南辺りになるらしい。

今の丁目では、内神田三丁目の一部です。

鍛冶町に隣接していて、鍛冶関係や、特に大工さんたちが住んだようです。

高架橋に、名前が残っていました。 
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当時の職人さんたちがこんなのを見たら、腰抜かすでしょうね。

 

 

そろそろ次へまいりましょうか。

 

次は「鍛冶町へ出まして…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

振り返って「神田の須田町へ出て…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

お見通し…

当ブログは「PRO」には申し込んでおりません。

なので、広告が出ます。

「PRO」の方が僕のブログを読むと、広告が出るのかな?

逆に僕が「PRO」の方のブログを読みに行っても、広告が出ますね。

 

でも、今の広告って、情報が早いというか、耳が早いというか…

とあるブロガー様へのコメントを書く上で、裏をとるために、ホークスの明石選手のことを、Googleで検索して調べたんです。

 

明石選手といえば、2012年、日本ハムの乾投手から、19球も粘ってフォアボールをもぎ取った、プロ野球タイ記録の持ち主。

1打席で15球もファウルを打ったのは、プロ野球記録だそうですよ。

粘りに粘って、最後は出塁を勝ち取った明石選手に対して、確か記念のTシャツが出てたよな~と、うろ覚えで。

 

5年も前のことなので、なかなかヒットしなかったんですが、画像検索すると、該当するのがヒット。

(明石だから?)赤文字で「1打席19球、粘りに粘って明石の勝ち!」と書かれたTシャツを、見つけられましたよ♪

 

さすがにここに載せちゃうのはまずいでしょうから、確認だけしてね。

今度は何の気なしに、別の方のはてなブログを、覗いたんです。

そしたら…

 

「広告枠が『明石』『明石』『明石』『明石』『明石』『明石』!!」

 

まるで「見てきたような??」明石健志グッズの、オンパレードに!

 

いや、神様仏様Google様は、見てるんですね~

いくつかクリックして、商品を確認してみましたよ♪

 

ただ、残念だなぁ…

その中に、件の「明石1打席19球Tシャツ」の広告が出てくれたら!

ないカネを叩いてでも??クリックして買ったのになぁ…。

 

安房国の思い出…

上総国から、南下します。

房総半島先端、鴨川市館山市南房総市鋸南町で構成される、「房州」安房国です。

 

 安房国と言えば、里見氏のルーツ。

正確には上野国から安房に移った、安房里見氏ですが、次第に上総、下総と勢力を拡大、北条氏らとやり合いました。 

 

史実ではないですが、こちらの方も有名ですね。

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滝沢馬琴南総里見八犬伝

安房里見氏の姫・伏姫と、名前に“犬”の字を持つ8人の若者「八犬士」をめぐる長編伝奇小説です。

房州が舞台ですから、域内での関心は高く、館山市のお菓子屋さん「房洋堂」では、こんな商品が売られていましたよ♪

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お話のキーワード「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」に、房州の名物を織り込んだ、8つのお菓子が入っています。

もちろん、2回に分けて、四択に♪

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今は模擬天守の館山城ですが、中は八犬伝博物館になっているそうです。

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房州と言って、もう一人、忘れてはならない人物がいます。

 

日蓮上人」

鴨川市小湊で、生を受けています。

誕生寺というお寺が、ここにあります。

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日蓮上人が誕生した時、多数の鯛が飛び跳ねて、誕生を祝福したと言われています。

このため、この地の鯛は日蓮上人の化身。

決して食べることはなく、網にかかって死んでしまった鯛は、この鯛塚に供養すると言います。

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近くには鯛の浦という入り江があり、遊覧船が出ています。

ここには真鯛の群生地があり、(運がよければ)鯛の舞い踊りが見られます。

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船が止まり、お待ちかね、鯛のショー!…でしたが、

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写真の成果はこんな感じでした…。

ポジショニングがね…。

でも、おっきな魚(ヒラマサなど)が悠々と泳ぐ姿を、見ることができましたよ。

 

実は、この先の大弁天島・小弁天島に住むという弁財天が、魚を惜しみ、「この地で魚を捕る者は、必ず病になる」と言ったため、恐れをなした漁師たちは、ここでは絶対に魚を捕らないそうです。

なので、鯛以外の魚も、結構いるそうですよ。

 

遊覧船といえども、鯛に餌はやっても、捕ったり危害を加えたりはしません。

お土産にも、鯛の肉を使う物は、ありません。

代わりにこちらを買って、同地を後にしました。

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甘い、お菓子ですよ。

 

 

次は20・能登国です

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

前の国は、こちら

18・伊豆国

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

棚卸し…

四半期に一度、「資産の棚卸し」というものを行っております。

 

自分の持っている現金、預貯金、負債(クレジットカード)、金融商品などをすべて数え上げ、自分がどれくらいの資産を持っているか、また急な出費にどれくらい耐えられるのかを調べ、把握するのです。

 

親と同居ではありますが、会計は別会計。

自分がどれくらいのお金を使えるのかは、知っておかなければなりません。

一人暮らしの時代が長かったせいもあって、残高には敏感です。

一人暮らしだと、頼れる人がいませんからね。

 

この作業を始めて、もうかれこれ、9年になるんですね。

ファイルの最初のデータは、2008年第3期です。

以前は2日がかりの、大仕事でしたね。

なかなか計算が合わなくて…

今はExcelの仕様を見直して、だいぶ楽に計算できるようになりました。

 

資産額の推移をグラフにしたシートもあります。

覗くと、自身の出来事が重なったりしますね。

あんなことがあったから、あの期間はグラフが下向きだった、とか。

 

月毎の予算も出しますから、さらにシビアになります。

毎月の給与の平均から、予想される支払、出費を引いて、残りを少しでもプラスに持ってかなければなりません。

次期のお小遣いは、減らさざるを得ないようです…。

 

最後に考察して、次期はこんな方針で行こう!なんて宣言して終わるんですが、その通りに行った試し、あったかな?

 

 

なかなか、うまくいかないものです…。

 

草加松原・「我が街・草加」の思い出・1…

草加を代表する景観です。

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草加松原。

草加市を南北に貫く日光街道に続く、松並木。

国の名勝です。

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日光街道は江戸時代に整備されましたが、この辺りは湿地で馬が進まないため、茅を切り、柳を切って、草を埋めて道を作ったことから、「草加」との説があります。

※ 「砂地=ソガ→草加」説もあります。

 

松並木右側は、綾瀬川

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水面に映る、美しい松並木です。

近現代にも何度も改修を受けていますが、1683年、伊奈半十郎忠篤という人物が、治水工事の一環として、植えたと言われています。

その頃から「千本松原」と呼ばれ、親しまれていたようですね。

 

松並木の左、地元では旧4と(49とも)呼ばれる、「日光街道」県道49号線が併走しますが、松はかなりの密度で植わってるため、松並木は意外と静か。

市民の憩いの場になっていて、散歩したり、ジョギングしたり。

広さがあるので、自転車もゆっくり通れます。

 

松並木には、2つの太鼓橋が、跨道橋としてかかっています。

ちゃんと名前がついていて、北側は「百代橋」

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「月日は百代の過客にして…」からですね。

松尾芭蕉「おくのほそ道」序文です。

 

そう、この草加松原は、松尾芭蕉も通った道なのですよ。

 

南側の橋は「矢立橋」

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「おくのほそ道」には、

  行く春や 鳥啼き魚の 目に泪

という句が載っていて、これが「矢立初めの句」とされています。

「矢立」とは、携帯用の筆記用具(筆と墨壺を組み合わせたもの)のこと。

いよいよ、旅の始まり、と言うわけです。

 

今の世は、みんな携帯やスマホ、デジカメを持って、ウキウキしながら旅を始めるんでしょうが、それらは「矢立」のなれの果て、ということになりますね。

 

ただ、当時の旅は命がけで、決してウキウキの、物見遊山的な旅ではなかったそう。

日本列島を旅して、紀行文と多くの句が後世に残ったのは、本当に幸運だったと言えましょう。

 

東武伊勢崎線スカイツリーライン)獨協大学前駅が最寄り。

ちょっとのんびり歩いていただきたい、並木道です。

ベージュ色の思い出…

ベージュ。

 こんな、感じかな?

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和訳すると「らくだ色」だそうです。

実際には、染めない羊毛の毛織物を、ベージュと言ったそうです。

クリーム色よりも淡く、若干赤みがかった印象ですかね。

 

国鉄時代、特急・急行列車の基本カラーとして、長く全国を走りました。

鉄道博物館にて。

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やや濃い感じも、しますけどね。

実際の印象は、特に昼などはもう少し淡く、赤みがかってたように感じます。