※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
須田町の交差点を、南下します。
ドーミーインがあったり。
ゴルファーに言わせると「(マッチプレイで)後がない!!」になってしまいますが、こちらは「dormitory(寮)」からの造語で、下宿のようにくつろげる宿、だそうです。
運営の共立メンテナンスは、社員寮などの運営会社ですね。
強みを生かした業種拡大だと思います。
実は、ある目標物を探してまして。
ん?
神田鍛冶町に出ました。
資料を調べると…!!
実はこの辺り、新石町ではないらしい。
須田町交差点から南下した辺りは、新石町ではなくて、
「通新石町」
当時の中山道を挟むように存在した町です。
須田町で触れた青物市場は、この通新石町辺りまで広がっていて、八百屋さんの威勢のいい売り声が響く、賑やかな町だったそうですよ。
大体、この一八通りが境界のようです。
岩本町から神田方面への、真っ直ぐな細い道です。
岩本町の起点付近。
道中、こんな神社もありました。
一八稲荷神社。
一日と八日に縁日があったそうで、この名前だそうですが…
実はこの神社、「防災」「盗難除」に、大変御利益があるとか。
東京を焼き尽くした空襲の時も、この神社のご加護のおかげで、この辺りの神田多町付近は、難を逃れたというから、相当なものです。
さて…
実際の新石町は、神田駅の南辺りになるらしい。
今の丁目では、内神田三丁目の一部です。
鍛冶町に隣接していて、鍛冶関係や、特に大工さんたちが住んだようです。
高架橋に、名前が残っていました。
当時の職人さんたちがこんなのを見たら、腰抜かすでしょうね。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「鍛冶町へ出まして…」
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com
振り返って「神田の須田町へ出て…」