※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。
鍛冶町。
鍛冶関係の人々が住んだそうです。
地区によって、刀、刃物や釘、鍋釜など、様々なものを扱っていたようです。
当時、この界隈の「神田」というのは地名と言うより、大きな括りの地域名で、他にも「塗師町」「竪大工町」「上(下)白壁町」など、それぞれゆかりのある人々が住んだ街だったそうです。
現、鍛冶町の真ん中にあるのが、神田駅です。
東口は歩を進めている大通り、今の中央通りに面する出入口です。
西口はお城方面ですね。
大手町方面への出入口になります。
南口は日本橋方面。
日本橋を渡ると、この旅も中盤かな?
北口の案内はちょっと写真では見にくいですが、靖国通り方面へ通じています。
ピンと来た方、いらっしゃる?
そう、JR神田駅は、「東西南北の出入口が、すべて揃う駅」なんですよ!
今も昔も、交通の要地に立地している所以ですね。
ところで、現在の鍛冶町は…
一丁目
二丁目
前回の新石町ガードです。
そして三丁目は…??
そう、何故か三丁目は「神田鍛冶町三丁目」なんです。
実は千代田区は、住居表示を済ませた地区からは、“神田○○町”という“神田”の冠称を、外すことになっています。
つまり、鍛冶町一丁目と二丁目は住居表示実施済、神田鍛冶町三丁目は未実施、ってわけです。
調べたところ、神田鍛冶町三丁目は、住居表示実施の際、別の町名になることが取り沙汰されていたそうです。
二丁目までと違い、JR線の西側にあるためだそうで、実際、三丁目の一部は住居表示が実施され、内神田になっています。
「鍛冶町の地名を、名乗れなくなる??」
神田鍛冶町三丁目は、それ以上住居表示が進みませんでした。
住居表示によって、丁目、番地等が整理され、特に郵便が届きやすくなるなどの利点があります。
でもそれと引き換えに、愛着ある町名が削られたり変えられたり、隣と一緒にされたり。
住民感情を無視した措置が取られることも、あるんです。
多分、全国でも各地で、あるんじゃないかな?
結局、旧町名がそのまま、幅を利かせたり。
僕がいた松本でも、住居表示が実施されたものの、バス停などは旧町名のまま。
かえって旧町名を碑にして残したり、今でも旧町名が市民の中で生きています。
場所の説明も、旧町名で言った方が、場所のイメージが湧きましたしね。
そろそろ次へまいりましょうか。
次は「今川橋から…」kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com
振り返って「新石町から…」