はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
正確な日付は、覚えていません。
多分、小学3年生ぐらい。
明るい、夏の日だったと記憶しています。
この日、近くの児童館で、映画の上映会がありました。
アニメーション映画で、明るい夏の場面から、映画は始まりました。
仕事に、学校に、家族を送り出して。
なんてことのない、朝の風景です。
突如、画面が光る!!
あの場面で!この場面で!
「何が、起こった??」
強烈な光を浴びた人々は、体が溶け、朽ち落ちていく…。
まさに、「人が人でなくなる」惨劇…
衝撃でした。
「恐怖」もありましたが、もはや、感受の限界を超え、ただぼーっと見ていたような、気がします。
目を背けることさえ、出来なかった…。
映画のタイトルは、「ピカドン」
最初に映写室に入った時は、「ピカドン」の意味を知りませんでした。
原爆が落とされた時、一体何が起こったのか、アニメで刻明に描いた作品です。
恐らく、原爆投下を目の当たりにした方が、監修されたのでしょう。
映画は、アニメならではの、壮絶なリアルさで、描かれています。
絵なんですが、人がリアルに動き、苦しみ、死んでいく。
動画であるための、恐ろしさ。
直接的に、訴求してきます。
もちろん、実写ではとても、そんな表現は出来ません。
どんなに飾り付けても、作り物とバレてしまいます。
でも、アニメだと一つの世界ですから、絵で描かれたことが、現実性を持つのです。
確か、ストーリーはほぼなかったと、記憶しています。
ナレーションも、多分なく。
多分、必要なかったのでしょう。
原爆に遭った人々の苦しみ、と言うより、訳もわからず倒れ、死んでいく姿が、淡々と描かれた作品。
そしてそれが、「原爆に遭ったら、こうなるんだよ」という、無言のメッセージとなって、視聴者の胸を潰しにかかった。
あの時、作品から受けた「圧力」は、今も忘れません。
そして、その光景は、幼い僕の胸を、ガッチリと極めました。
もはや、動くことさえ、出来ませんでした。
そして、映像は衝撃と共に、脳裏と胸に焼き付けられました。
そう、原爆の光と熱が、影さえも刻み込んだように。
あの日から、もう40年以上が経ちました。
戦争に関しては、その後いろんな意見に触れました。
自衛権、愛する人を守るために、武器を手に取る権利を出されると、僕の心も揺れ動くのは、正直な所です。
でも、核兵器は「無条件でNo」の立場で居続けるのは、この映画の影響が大きいです。
原爆に焼かれた人は、「そこにいた」だけで、命も家族も、人生も奪われた。
「ただ、そこにいた」だけで、無条件で過大な制裁を受けることは、あってはならないことだと思います。
日本は、核兵器を落とす国に、なってはなりません。
逆に、落とされる国にも、なってはならないと思います。
そしてそれは、他の国も同じことです。
映画が終わって…
そう言えば、2本目がありましたね。
今度は実写で、ナレーション付き。
実際の原爆投下当時の映像を、流すものでした。
2本とも、しっかり見ました。
当時の僕は。
でも、今もう一度見ろと言われても、もはや最後までは、見られないかも知れません。
壮絶の内容を、既に知っているから。
それほど、大きな力を持った、作品だったんですよ。
裏は、CDの思い出を…