今週のお題「やったことがあるアルバイト」
大学時代のアルバイトは、その多くが郵便局でのアルバイトでした。
松本郵便局です。
1度目は年賀配達のアルバイト。
本当は運転免許が取れているはずだったんですが、取得が遅れて、自転車での配達になりました。
局としては、バイクが使えれば、もっと遠くへの配達とか、小包の配達にも使えたんでしょうね。
その辺は申し訳なかったですが、僕としても、ここでバイクに親しむ機会があれば、また人生が変わったかも知れません。
その翌年かな?
11月の時期に、もう一度アルバイトを申し込んだんです。
かなり、逡巡して。
今もですが、電話は怖かったですからね。
当時はまだ20世紀、意思表示の手段は、電話しかありませんでした。
受話器を手に取ってはやめ、取ってはやめを繰り返しながら、何日か。
思い切ってダイヤルしたら、意外な答えが返ってきて。
「内勤をやってくれないか?」
実は、区分機が新しく導入された頃で、オペレーターを求めていたんだそうです。
区分機担当になり、勤務開始。
区分機は、他地域に送る「差立区分」と、自局内に配達する分を仕分けする、「配達区分」がありました。
いろいろコツがあって、予め区分機に掛けられないものを排除したり、供給しやすいように揃えたり。
稼働率、つまり運転時間ごとの区分数を上げるように、指導されました。
無駄な運転をしないようにね。
次第に仕事にも慣れ、ほぼ、専門職になっていきました。
機械区分は一手に引き受けていましたが、機械が終わると、普通の手区分もしましたよ。
局外に出す「差立区分」は、郵便番号のみを読みます。
当時は、5桁でした。
企業が出す、予め揃ったものは、狙いを定めて、読取率を上げたり。
活字なら、当時でも90%以上の読み取りが可能でした。
ただ、一瞬で読むので、誤区分もあって。
当時はバーコードなんて、つけてなかったですからね。
松本は390ですが、9が8になって、長野(38x)へ行ったり、1になって水戸(31x)へ行ったり。
3が8になって、鹿児島(89x)との誤区分も、結構ありました。
「機械は速いけど、万能じゃないのね」とは、この時実感しました。
一方、手区分では、松本(39x)・松江(69x)、松山(79x)と、「松」のつく3都市が似た番号で、よく間違われて区分されました。
手区分も万全とは言えませんでしたが、機械では読めない達筆な住所や、物が入ったもの、転送などの宛先訂正にも対応出来ますから、機械一本化は難しいです。
「配達区分」で、松本郵便局が配達するのは、松本市内の大半ですが、知らない地名が多数ありました。
勤務が終わってから、自転車で行ってみたり、興味深かったですね。
周辺でも、市内の里山辺(390-02)、浅間温泉(390-03)や、399の松本南部地域、390-11~14、17の松本周辺地域(今井・神林・山形・波田・梓川)、豊科(399-82)・穂高(399-83)などは、郵便物が多かったですね。
一方、長野県は非常に集配郵便局が多い地域で、399の枝番はフルに使っていましたし、3桁都市の枝番も、多数ありました。
(3桁目が9の郵便番号は、本来は「郵便車」を表し、車内で区分して各所で取り下ろすので、xx9-xxの郵便番号は、地域内各所に存在します)
地名を覚えたり、位置関係をつかむには、いいアルバイトでしたね。
地元の方以外では、「旦開」で「あさげ」なんて、この仕事をしてないと、絶対読めないですね。
かつては同名の村があったそうですよ。
あとは…
人とのコミュニケーションでも、学ぶことがありましたね。
そう言えば、年上の方々との交流は、ホント機会がなくて。
随分失礼もしましたね。
若いから、許してもらえた部分もあったかも。
いろいろ、ありがとうございました。
その後…
就職先に郵政事務を選ぶことになります。
郵便局は7年の勤務だったけど、その後にもつながる部分があり、人生上も重要な期間にもなりましたよ。