父の転勤で居住した、綾瀬市。
海老名駅は小田急メインの駅でしたが、バスはなぜか相鉄バス全盛で。
当時は、幕車でしたが。
このバスにも、随分思い出があります。
バスは駅を出ると、市役所前(現・中央一丁目)、国分と停まって、きつい坂と橋を渡って、国分寺台へ入ります。
そう、この一帯は起伏に富んだ、台地なのです。
そこから先、バス停は国分寺台第1、国分寺台第2と続き、最終的には国分寺台第12が終点、という路線でした。
新しい街でしたから、バス停の名前にするような、旧町名がなかったのでしょう。
もちろん、バスは駅に出るときに使うんですが、水泳教室にも行ってたし、市役所前には行きつけのレストランや電器屋(ダイクマ)、第6には歯医者や英語教室に行く機会があり、第10には商店街があるなど、生活の中で密着した路線でした。
第8と第9の間には、これまた急な坂があったり、意外と変化に富んで、面白い路線でしたね。
そして、家の最寄りは国分寺台第11でした。
※ バスのデザインは最近のものです。
バス停の両脇には、お酒屋さんのT酒店と、駄菓子を買ったA商店が、今も残っていました。
バスの車両も、緑系の新しいバスと、赤系の古いバスがいて、何が来るか楽しみでしたね。
古いタイプのには、方向指示器やブレーキランプと連動した表示器があり、ニヤニヤしながら眺めてたり。
回数券は料金券タイプで、それぞれ色が違ってたので、色好きとしては、わざわざあまり使わない券種を買ったり…、したかどうかは覚えていません…。
また、もう一つ珍しい体験が。
当時の相鉄バスは、“お釣り方式”の料金支払方法だったんです。
あまり、見かけないでしょ。
通常、ちょうどの硬貨がないときは、両替機に投入して崩すのが一般的ですが、相鉄は100円玉を投入すると、運転士さんが適切なお釣りの払い出しボタンを押して、お釣りを支払う方式だったんですよ。
本厚木で乗る神奈中バスが、両替方式でしたから、両者の相違が奇異に映りましたね。
これだけのことがあると、勢い、バスにも興味を持ちます。
わざわざ、分類学者してみたり!?
楽しく、やってましたね♪
でも、嫌な思い出も。
遠足では普通の路線バスを貸し切っていくことが多かったんですが、車内で男の先生が、ふざけて僕の腕をやたらと捻りまくったことがあって…。
相当痛かったと、記憶しております…。
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