備中国から、さらに西へ。
備州では一番西、備後国です。
領域は広島県の東側で、福山市を中心に、尾道市、三原市、山の方では三次市を含みます。
福山城は、かなり昔に行きました。
立派な城が、駅のすぐそばにそびえます。
水野氏、江戸中期からは阿部氏の城でした。
この時は三原まで行っていて。
三原のタコは、特に有名だそうです。
水温が比較的一定で、タコにとっては住みやすい海なんだそうですよ。
これも、たこ飯にして食べたのかな?
予想よりも美味しかった記憶があります。
もう一回、福山を拠点に。
鞆の浦。
静かな港町です。
ですが、海路上は難所だったのか、歴史上にも何度か登場しています。
坂本龍馬も絡んだ「いろは丸事件」は、有名です。
でも、町は道も狭く、こんな路地が幅を利かせます。
保命酒は藩が奨励した、薬草入りの蒸留酒です。
医薬品ではないものの、身体を温める、滋養強壮など様々な効果があるそうで、当時は藩が、藩外での販売を禁じたほどでした。
鞆の道は狭く、二灯式の信号機!
交差点内で、車1台分しかない部分が長いため、数分間は青(赤)が点きっぱなしになります。
この日は雨で、猫はこの一匹だったのは残念でしたが…
「ねこバス!」こと、ボンネットバスを発見!
幸運にも、乗車することが出来ました♪
「となりのトトロ」のねこバスかどうかは知りませんが、同じくジブリの「崖の上のポニョ」は、この鞆の浦がロケ地だそうですよ。
山側の方にも、行ってみましょう。
写真はありませんが、つい昨日をもって廃止になった三江線にも、かつて乗ったことがあります。
三江線は、備後国の山間・三次と、石見国の沿岸・江津を結ぶ路線として、開通しました。
100kmを超す長い路線で、高い高架のホームに階段で!上る駅(宇都井駅)など、特徴のある駅がありました。
僕が乗ったのは、もう20年も前。
昼下がりの列車で、途中の拠点・浜原駅で、30分近くも停まる列車でしたが、車内は中高生で満員。
当時は携帯もスマホもない中で、みんな長時間停車などお構いなしに、楽しそうにおしゃべりしながら、発車を待っていたのが印象的でした。
そしてもう一つ、あるエポックが、三次駅であったんです。
僕は三江線を降りて、福塩線が発車する塩町駅まで、芸備線を移動する予定でした。
発車まで間があったので、気動車の運転席近くで、発車を待っていたら、運転士さんが誰か(お客さん?)と話す声が聞こえたんです。
「人々は『鉄道を残せ!』って叫ぶけど、いざ、こちらから旅行プランなんか持ってったって、見向きもしてくれない…」
当時、鉄道はJR西日本。
まだ上場前だけど、私企業です。
そう、慈善事業ではないのです。
それは、鉄道ファンにも言えることで。
苦労してSLを動かしたり、臨時列車を運行したりしても、写真に撮られるだけでは、直接は鉄道会社の収入にはならない。
彼らとしてみれば、やった甲斐がないのです。
鉄道趣味は、乗ってなんぼ。
僕を決定的に「乗り鉄」にしたのは、この三次駅での会話、だったのですよ。
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