螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

弟と…

路線バスで、鹿屋市へ着きました。

 

都城を経由したのは、諸事情って言うことで…
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128002926j:image

鹿児島交通バスでした。

 

鹿屋市には、弟が住んでいます。

今は草加半分ですが、比較的あちこちを均等に住んだ僕と違い、彼は鹿児島時代が長い。

やっぱり鹿児島が一番愛着があるようで、鹿児島県内の仕事をしています。

 

とは言え、これは鹿屋で入手するのは難しいので…
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128003051j:image

加治木まんじゅうです。

弟が小学生の頃、隣の姶良町(現在は姶良・加治木とも姶良市)に住んでましたから、馴染みがあります。

喜んでもらえましたよ♪

 

ラーメンを。

塩ラーメンは、この度では初めてです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015413j:image

あっさりの中にもコクがあって、美味しかったですね。

鹿児島ラーメンは、とんこつ以外のラーメンだって、あります。

 

さて、鹿屋市の施設と言えば、こちら。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015449j:image

鹿屋航空基地

航空ですが、海上自衛隊の基地です。

 

飛行機は、たくさんいますよ。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020414j:image

 

これは、チヌークかな?
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020439j:image

 

海上自衛隊の大きな任務として、対潜防御があります。

その一躍を担ってきたのが、このP-2Jです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015511j:image

今は後継のP-3Cが、活躍してますね。

 

過去には、こんな大きな水上飛行艇も、在籍していました。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015532j:image

戦前の話だそうです。

 

さて、史料館があるので、入ってみました。

肖像権の関係で、2階の旧日本海軍時代の展示は、零戦のみ撮影可能です。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015549j:image

 

知覧と共に、ここ鹿屋からも、多くの特攻機が飛び立ち、帰らぬ旅に出て行きました。

実際、成功したのはごくわずかで、多くは海上に墜落、このような結果になっています。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015623j:image

錦江湾から、引き揚げられたものだそうです。

 

永遠の0」でしたっけ?

「特攻は成功しても失敗しても、待っているのは“死”だ。

 こんなむごい作戦はない」

本当に、そう思います。

 

今の海上自衛隊のコーナーは、撮影可能です。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015928j:image

 

レーダーなんて、撮っていいのかな?
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015944j:image

 

こちらは、飛行機のかな?
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128015952j:image

 

さて、売店ではお土産をいろいろ。

出題ネタも、仕入れて♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020507j:image

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020455j:image

 

 

さて、もう一つのスポット。

鹿屋市内を走っていた、大隅線の旧鹿屋駅です。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020014j:image

 

周辺の駅名標が、保存されていました。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020357j:image

 

いたのは、キハ20 441号車。

1エンジン両運転台車ですね。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020047j:image

 

車内は、日豊本線などを走っていた、2エンジンのキハ52と変わりませんから、僕らも馴染みがあります。 
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020120j:image

 

当時は、灰皿がありましたね。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020141j:image

 

便所も、当然の設備でした。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020155j:image

停車中に、使用してはいけないのは…?

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.jp

 

さて、駅舎部分は、記念館になっていました。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020234j:image

こちらも、サボとか方向幕とか運賃表とか、僕らの時代に合ったものがたくさん展示されていて!

2人で、昔話に花が咲きました♪

 

これ、何故か電気機関車のもの。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020251j:image

大隅線は非電化路線ですから、入れないんですけどね…。

 

もう少し時間があったので、いろいろ話して。

彼は僕と違い、家庭も子供もあります。

仕事も、僕よりはかなりキツく、残業も多いそうです。

 

彼なりの、苦労話を語ってくれました。

 

ありがとうございました。

高速バスで、鹿児島空港へ向かいました。

 

旧交を温める、貴重な時間でしたよ。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181128020519j:image

筑後国の思い出…

筑前国から、南。

筑後川を越えると、筑州、筑後国です。

もっとも、筑後川は暴れ川で、氾濫、流域変化などが絶えず、飛び地が数多くあるそう。

筑後川が明確な両国の境には、なっていないそうです。

今は市町村合併も相次いで、自治体的にもまたがっている例が、あるそうですよ。

だいたいですが、小郡市久留米市から南、ですかね。

 

筑後と言えば、昔、柳川に行ったことがありました。

写真が残っていないんですが、水路のある、しっとりとした街だった記憶があります。

 

今回、こちらへ。

大牟田市です。

 

大牟田駅は、JRと西鉄が発着します。

西鉄大牟田駅では、レンタサイクルの貸し出しがありますよ♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181127003037j:image

 

訪れたのは、こちら。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181124135001j:image

宮原坑(みやのはら)。

三池炭鉱の施設跡です。

 

三井三池炭鉱は、明治期の日本の近代化、工業化を担った施設として、その存在意義は大きく、いくつか残る施設に三池港を加えて、国内19番目の世界遺産に登録されました。

 

採掘拠点としては、昭和6年には閉坑しています。

しかし、「坑内の水を汲み上げる」という目的のために、結構最近まで稼働していたそうです。

そのため、施設が比較的そのまま、現在まで残されています。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181124135148j:image

 

こんなゲージに、人や石炭、道具やくみ上げた水などを、乗せたそうです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126234213j:image

 

これが、巻上機!

大きい!!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126234332j:image

 

これは、ブレーキシュー。

ケヤキの木だそうですよ!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126234355j:image

 

 炭函という車両に乗せて、運んだそうです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126234556j:image

ゲージから引き出すためには、ゲージと地上で、レールの位置を揃えなければなりません。

後どれくらい巻き上げればいいか、止めるタイミングなどを、信号でやりとりしたそうです。

技術が要る仕事だったそうですよ!

 

こんな記念品を、求めました。

実際に宮原坑で産出した、石炭!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235607j:image

完全に操業停止にする直前に、石炭を集めて、貯めておいたそうです。

でも、あとわずか!だそうですよ。

 

こちらは、ジャー坊という大牟田市のキャラクター。

大蛇山から、蛇の化身のイメージだそうです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235620j:image

これは、無料でいただきました。

コーヒーです。

 

やっぱり、世界遺産になった誇りでしょうか、係員さんの説明は熱心で、情熱にあふれていましたね。

ありがとうございました!

 

さて、掘った石炭はどうしたかというと、国内外に輸送しました。

こんな専用線が、あったそうですよ。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126234627j:image

三池炭鉱専用鉄道です。

大牟田市にはこのほかにも、三池炭鉱の採掘施設があり、それらをつなぐように伸びていたそうです。

 

実は電化線で、電気機関車も使われました。

これは… トイレ!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126234653j:image

でも、宮原抗からは下が見えないので、本物に見えますね。

 

さて、降ろした石炭は、かつては島原の口之津港や、熊本の三角港まで小型船で輸送してから、大型船に積み替えていたそうですが、「やっぱり三池に港が必要だよね」と、三池港が造られました。

こんな感じ!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235054j:image

よく見ると、鳥のような形をしてるでしょ。

ハミングバード、ハチドリを模しているそうです。

 

これは防波堤ならぬ、防砂堤だそうです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126234751j:image

 

当時は1万トンの船が出入りできるように、この幅が決められました。

当時の方が細長い船だったので、これで十分だったようです。

今はこの奥に新しい埠頭があり、3万トンの船が発着できるそうです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235140j:image

 

さて、この開口部には、有明海ならではの仕掛けがあります。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235124j:image

閘門(こうもん)と言います。

実は水面下にも大きな扉があり、開閉します。

何故こんなものが要るかというと、有明海の干満の差は、5メートルもあるから。

満潮の時は大型船が入れても、干潮で海水が引くと、着底してしまいます。

 

この扉は、陸地側を向いた、観音開きの扉になっています。

干潮時は陸地から海方向に力が働きますから、その力を利用して、扉が閉まる仕掛けになっています。

これにより港を締めきり、水位を保つわけです。

満潮時は陸地方向の力ですから、海水に押されて扉が開くわけです。

上手く出来てるでしょ!

こういう技術もさることながら、日本の近代化、工業化に大きく貢献した施設として、世界文化遺産にふさわしいわけです。

 

さて、ちょっと北に行きます。

久留米駅を出ると、こんなものがあります。

巨大な、鉱山用車両のタイヤだそうです。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235226j:image

久留米市は、実はゴムの街。

かのブリヂストンは、ここが創業の地です。

 

もう一つ、久留米市で有名なのは、これ。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235256j:image

とんこつラーメンは、博多や長浜ではなく、実は久留米が発祥です。

発祥は「南京千両」という店で、ある日、店主が母に火加減を任せて外出したら、母は炊きすぎて、スープは真っ白に!

帰ってきた店主はびっくりするものも、一口すすってみて、「美味い!!」

骨の髄が溶け出して、独特なコクが生まれたのが、とんこつラーメンの始まりだそうです。

 

久留米ラーメンは博多に比べると、スープは濃いめの店が多いです。

でも、中にはスッキリ系も。

ただ、匂いはキツいかもしれません。

九州にいた僕は、慣れちゃいましたけどね♪

 

こちらは先ほどの「来福軒」

匂いはしますが、スープはスッキリ系で、あんまり脂っこくない。

でも、コクがある、美味しいスープですよ♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235328j:image

 

博多ラーメンほど、麺が細くないのも特徴。

これはこれで、もっちり感が味わえて、なかなかいいですよ♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181126235342j:image

 

ごちそうさまでした~!

地域としては、福岡県の3分の1程度ですが、いろんな産業の歴史があり、興味深い旅が出来ましたよ♪

 

次は、63・豊後国です

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

前の国は、こちら

61・対馬国

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

大分空港の思い出…

シートベルトランプが点灯する頃。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123085306j:image

飛行機は豊後水道を渡ります。

 

見えてきました。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123085348j:image

 

大分空港です。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123085414j:image

 

ソラシドエアJA804X号機でした。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123085543j:image

 

時間の都合で、ターミナル内は、通り抜け。

バスに飛び乗りました。

 

そう言えば、大分空港と言えば、ホバークラフトという、大変珍しいアクセス手段がありました。

確か、空気を下向きに吹き付けて、海上を浮き、滑るように海面を走る乗り物だったと思います。

でも、2009年に航路は廃止され、それっきり…。

 

実は、こんな立派な道路が出来たから!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123085843j:image

大分空港道路です。

 

実は、大分空港は国東半島の先の方にあるため、陸路では時間がかかりまして。

遠回りになるんです。

そうすると、速く、渋滞もなく、しかも海を横断できるホバークラフトは、かなり有利だったんです。

 

しかし、この道路が出来ると、マイカー全盛ですから、利便性で追い上げられて。

しかも、海上の視界や風などによっては、欠航になることもあって。

乗客は減少したそうです。

 

この道路、対面通行区間もありますが…
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123085854j:image

 

目下、拡幅中!!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123085904j:image

 

眺めも、かなりいいですね♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123090215j:image

 

でもやっぱり、ホバークラフトも乗ってみたかったなぁ~

定宿…

明日の飛行機は、6時半。

自宅からは、始発でも間に合いません。

そんな時は、蒲田で前泊します。

「カプセルイン蒲田」です。

 

初めて使ったのは、もう何年前でしょうか?

それまで別料金だったサウナ・大浴場が、無料キャンペーン中で、空港にも近いので、利用してみたんです。

以後、サウナ・大浴場は無料になり、僕は一度も、サウナ料金を払ったことがありません(笑)

 

ひとっ風呂浴びて、サウナにも入って、向かうのはレストラン。

ここ、食事がとてもいいのです♪

 

今は280円均一、380円均一、…ってなっています。

これは、280円均一+ビール!

カンパーイ♪

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123105036j:image

このレベルでも十分美味いですが、特にいいのが、冷や奴!

いい豆腐を使っています♪

 

豆腐にこだわる店に、ハズレはないのです!

 

さらに、380円均一!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123105044j:image

季節メニュー「舞茸のバター焼」がうれしい♪

トマ玉のトマトもいいし、卵の炒め方がすごく上手!

ピリ辛の「タコの唐揚げ」は、来たら必ず頼みます♪

 

さらに、480円均一!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123105058j:image

病みつきガーリック海老は、本当に病みつきになる!

麻婆豆腐もいい豆腐です♪

季節メニューの銀杏串も、最高です!

 

実は、日本酒もあります。

いろんな所のを置いてますね~♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123105108j:image

 

アテには、地元大谷政吉商店の、あさりの佃煮なんかいかが?
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123105217j:image

 

最後はきのこそばで、締めました。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123105245j:image

 

ごちそうさまでした~!

ちと、食べ過ぎるぐらいの、美味ですよ!

 

なお、設備はオーソドックスな、二段カプセルですが、機能としては、問題なしかな。

目覚ましが、起こしてくれましたよ。f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181123105258j:image

お世話になりました♪

またよろしく、お願いしますね。

三沢空港の思い出…

晩秋の青森県を、空から。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119000937j:image

 

三沢空港に着陸。

日本航空JA327J号機でした。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119000757j:image

 

三沢空港は、青森県の東側。

三沢の他、八戸や下北半島などが、利用圏内になります。

日本航空の、赤組空港ですね。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119000820j:image

 

バスガイドさんが、こんなことを話してくれました。

かつて、日本からアメリカへの太平洋横断飛行が、冒険として試みられていました。

何度も失敗するんですが、この三沢が距離的にも緯度的にも、アメリカの都市を目指しやすいことがわかり、ここからチャレンジしたところ、見事成功したそうです。

到着したのはワシントン州のウェナッチ市で、今も三沢市とは姉妹都市の関係。

積極的な交流が続いているそうです。

 

現在の三沢空港は、本来米軍の基地。

アメリカ空軍が、日米地位協定に基づいて、使用しています。

もちろん、航空自衛隊の基地もあり、ともに、主に北方への備えとして、にらみをきかせています。

ここに駐屯する米軍機を、「北の槍」と言うそうです。

 

これは、ポストの装飾。

XF-2Aは、今の主力、F-2戦闘機の試作機です。

F-2は僕が前に行った築城の他、三沢基地にも多数配備されています。

航空ショーにも、出るんじゃないかな?

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119001944j:image

 

一方で、民間空港でもあり、羽田便、大阪便の他、丘珠便、土休日は函館便もフライトします。

ただ、羽田便が東北新幹線と競合するため、旅客は減少気味だそうです。

ターミナルも、小型ですね。

売店1軒、レストラン1軒!
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119003553j:image


窓際のカウンター席が取れれば、到着風景が見れますよ♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119003612j:image

 

これもバスガイドさんの話ですが、かつては民間機搭乗用のターミナルは、空港隣接には作れなかったそう。

機密の塊ですからね~

 

ターミナルは市内中心部にあり、搭乗手続、保安検査後、そこから15分かけて、バスで空港まで移動しなければなりませんでした。

もちろん、荷物も同じように輸送ですから、大変不便だったそうです。

 

とは言え、青森県にもう一つある青森空港は、当時は雪に閉ざされ、夏季しか営業できない空港。

もちろん、新幹線もありませんでした。

三沢空港は、比較的雪が少なく、冬季も運用可能でしたから、不便ながらも、県民の期待を重く背負った、大切な空港だったそうですよ。

 

そんな声が米軍を動かし、今は空港内にターミナルが出来ました。

小さいけれど、県民にとっては大変喜ばしいことだったんだそうですよ。


デッキにも上がってみました。

真っ暗ですが。
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119002301j:image

 

 何故か、青い点々が、きれいでした♪
f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181119002311j:image

 

この夜空へ旅立つのは、あと少しです。

粋・色な場所の思い出・青3…

スカイスリー開業時からの色です。

「粋」

例によって、オリナスタワーからの「粋」です。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181104234346j:plain

 

心意気を表す「粋」の水色は、隅田川をイメージ。

美しい、水色です。

 

これは、ソラマチですね。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181104234807j:plain

 

例によって、終業間際の。f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20181104234440j:plain

 

水色は、人の心を明るくします。

いい色を選んだと思いますね。

 

 

次の場所は、こちら

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

前の場所は、こちら

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

湯河原町と神奈川県の思い出・20…

湯河原郵便局勤務も、年数が3年、4年と経っていくうちに、ようやく職場にも慣れていきました。

本当に、スローペースではありましたけどね。

 

メンバーも転勤が相次ぎ、どんどん先輩や上司が入れ替わっていきます。

 

来る人は、もちろん課長もですが、主任だったり、総務主任(係長クラス)、課長代理(現場の上長)、上席課長代理(現場のトップ)など。

僕よりは役職も経験も上でしたが、それぞれ前任局とはやっぱり事情が違いますから、長くいる僕に、いろいろ聞くわけです。

もちろん、即答できる場合もありますが、曖昧で、調べることもありました。

 

そうすると、こちらも知識が整理されるんですよね。

そうやって、だんだん僕の仕事にも、確実性が出てきたのが、この頃でしたね。

今から思うと、ですが。

当時は、常に必死でしたよ。

 

初めて、窓口の計算があったのも、この頃。

いつ頃かは覚えてませんし、特にお祝いしたわけじゃありませんですけど、以降はだんだん、計算が合う方が多くなっていきました。

 

「当然じゃない!?」なんて、言わないで。

僕にとっては、大きな進歩、だったんですよ。

 

 

次の思い出は、こちら

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

前の思い出は、こちら

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com