螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

筋違御門・「黄金餅」の思い出・8…

※ この記事は落語「黄金餅」からインスピレーションを得て作成しておりますが、内容は素人の散歩であり、地理、歴史及び落語の研究には主眼を置いておりませんので、ご了承願います。

 

 御成街道が神田川、と言うか外堀でもあるんですが、これを渡るために、「筋違(すじかい)橋」が、架けられていました。

 

前に出した写真の先には、ビルじゃなくて…
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こんなだったらしい!

※ 昌平橋の袂にあった地図で、現在地の赤い印はそこです。
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ざっくりですが、地図の右側からは、大手門からの日光御成道と、日本橋からの中山道がやってきて、筋違橋で交差、中山道は地図の下の方、湯島方面へ向かい、下谷御成街道はここから、ジグザグしながら左の方に、道が伸びています。

 

要は「交差」するから、“筋違橋”ってわけです。

 

とは言え、御成だぁ、五街道だぁと、これだけの重要な街道の交差点です。

橋には見附という見張り小屋があって、往来を監視していたそうですよ。

 

明治になって、鉄道が通ったため、岸は煉瓦造りに。

この辺かなぁ…。
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裏へ回ると、それらしき場所には立て札!
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御成道と筋違橋についての、記述がありました。
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この外堀(神田川)を渡る橋。

筋違橋と昌平橋、そして今では万世橋と、3本の橋があったわけですが、まぁこれらの橋は架けたり流されたり、時にはわざわざ壊したり。
非常に紆余曲折あって、今は万世橋です。

昌平橋も残ります)
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今の橋は昭和5年の架橋ですが、最初の架橋は明治6年。

筋違橋の場所に、取り壊された筋違見附の石材を使って、架けられました。

これを当時の東京府知事大久保忠寛が、「萬世橋(よろずよばし)」と命名。

いつしか音読みの「万世橋(まんせいばし)」となり、後世に伝わったようです。

 

橋はどれも、大抵は洪水で流された歴史を持ちます。

“この橋こそは、萬の世まで残って、架け橋となって欲しい”

そんな願いが、込められていたかもしれませんね。 

 

ところで…

覚えてます?

 

万世橋の下にある、謎の船着き場と…
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階段と秘密の?小部屋…
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一体、何なのか?

調べたら、なんと三説も!

 

「地下鉄建設施設説」(Wikipediaなど)

確かに現:中央通りの地下には、地下鉄銀座線、当時の東京地下鉄道が通っています。

架橋した時期に、一緒に工事したとしたら…

 

「トイレ説」(ブラタモリなど)

確かに南側には、今も公衆便所があります。

実は、下が元々のトイレだった??

 

「川の駅説」(Jタウンネット東京都)

元々江戸・東京では水運が発達しており、架橋の際に“自然に”水運の設備が設けられたのでは?

 

う~んどれももっともらしい…

 

ただ、その後の戦争や時代の変遷などで、資料は失われてしまったらしい。

あとは、想像の世界に、耽るだけですね…

 

 

そろそろ次へまいりましょうか。

 

次は「大通りへ出まして…」

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.com

 

振り返って「その頃、掘様と鳥居様という御屋敷の前を真っ直ぐに…」

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