旧京橋区は、中央区の南部、京橋・銀座・築地・八丁堀などで構成されていました。
今から思えば、「何故“銀座区”じゃなかったのか?」と思いますが、京橋区が成立したのは、35区時代のさらに前、明治期の東京15区時代。
この当時、京橋は文化の中心だったのです。
区役所も、ここにありました。
“橋”の京橋は存在しますが、京橋川は埋め立てられ、今は柱だけです。
「中央区の思い出…」では、旧京橋区の区域内として、西銀座チャンスセンターと、銀座ソニービルを扱っていました。
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なので、出来るだけ被らずにと、(本当はゴールでしたが)、構成上のスタートはここ。
東京メトロ銀座線の京橋駅に着くと、到着案内で流されるのが「明治屋前」。
この時に明治屋が、駅の建設費用を一部負担したので、今でもこのアナウンスがなされます。
駅名も三越が冠されました。
もし、三越がお金を出さなかったら…
駅名は「室町」だったかも知れません。
その「明治屋」
本当に明治期創業の、舶来品など高級品を扱うスーパーです。
明治屋で特に有名なのが、これ
「Myジャム」のブランドで、これも明治期からのロングセラーです。
当時は信州産のいちごを使ったジャムを発売、西洋の食文化の紹介に、一役買いました。
こちらは西銀座入口。
東京高速道路、通称「KK線」の入口です。
都心部を走る自動車専用の道路で、京橋JCTと汐留JCTで首都高速都心環状線と、西銀座乗継所で同八重洲線と接続しています。
区間内であれば、通行料は無料!
道路はビルの上に建設されており、そこのテナント収入で賄っているそうです。
なお、“高速道路”なんて言われていますが、法律上の自動車専用道路ではないので、全線40km/h制限です。
ソニービルは、まだ残っていました。
今年の3月で、営業を終了するそうです。
しばらくは公園のようなスペースになり、東京五輪以降、またビルを建てるそうですよ。
…もしかしたら、時期的に割安で建てられるのかな?
歌舞伎座はビルになりましたが、伝統ある前面は残されました。
こちらの伝統も、残りましたね。
一幕だけを気軽に見られる、専用入口。
格安な料金で入れます。
ただ、入れるのは4階の限られたスペースのみ。
食事処や、売店にも行けません。
ある程度歌舞伎になじんだ方向けですね。
近くの三原橋交差点には…
ぐんまちゃん!
てっきりサンリオプレゼンツかと思いきや、違うんですね。
「上野国の思い出…」では、取り上げなかったな…。
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次は13・旧小石川区(文京)です。
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11・旧日本橋区(中央)
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