大阪版の「ら」は、
「楽して楽知らず」です。
楽ばっかりしている人は、楽なのが当たり前になってしまい、楽であることの価値すら、わからなくなってしまう、ってな意味になります。
ちょっと、電話の話を。
今は固定電話を持たない家庭があるぐらい、携帯電話が当たり前になっています。
今の携帯は、もちろん発信者がわかります。
端末の電話帳に載っていれば。
電話帳に載ってなければ、電話番号が表示されますが、基本的には「出るな」と教わるそうです。
誰ともわからない人だったら…?
そもそも、見知らぬ人の電話に出たら、その電話番号が有効であることが、わかってしまう、という側面もあります。
最近は、電話帳にない電話番号が表示されたとき、それが誰なのか(企業など)、調べる機能まで、あるそうです。
たまにある、見知らぬ電話だけど、手続き上必要な電話を、取りこぼさないためなんでしょう。
有料だそうですけど。
そう…
つまり、今の人にとって、電話は相手がわかって、初めて応じるものなんです。
一方、昔の電話は、発信者は出なければわかりません。
確かに今は、発信者番号が通知されるから、家の固定電話ぐらいなら、携帯に近い使い方ができるでしょう。
しかし、企業の電話だと、そんな見知らぬ電話にも、出なければなりません。
CRMで番号ぐらい出るにしても、事前に誰かを特定するのは不可能です。
つまり、「どこの誰だかわからない人と、コミュニケーションする」必要があるんです。
今からすると大変だけど、僕ら40代ぐらいだと、昔は普通にやってたことですよね。
もちろん、名乗ってくれるわけですけど、聞き取りにくいこともあるし、いきなり要件から入ってくる人もいます。
強圧的な苦情のこともありますね。
僕も、随分怖い思いをしました。
そんな苦労を味わってるからこそ、今の携帯電話なのは、随分便利になったと思いますね。
事前にある程度、対応も覚悟も、できますもんね。
一方、若い人は、その「便利」が当たり前の状態から入ってるので、電話の相手が事前にわかるのは、むしろ当たり前。
このことに楽さや便利さなど、感じないでしょう。
むしろ、就職して、会社の固定電話に出るのは、「ものすごく怖い!!」そうです。
そう、誰からかかってきてるかわからないから。
ここで初めて、今の携帯電話のありがたみが、わかることになるんですが…、
知らない人からの電話に出ることの、ストレスに耐えきれないで、仕事を辞めてしまう人までいるとか。
人事担当者は、かなり深刻に受け止めているそうですよ。