(草加市在住時の思い出の思い出を、記しております)
震災が落ち着いた頃。
僕もいよいよ、再就職をすることになりました。
今はないようですが、その当時は病院に就職担当がいて、いろいろと就職を世話してくれていたんです。
時期的には、ラッキーだったと言えるでしょうね。
確かこの頃は、そろそろ傷病手当金が、切れる頃。
そんなこともあって、ハローワークへ行くことも増えました。
具体的には、次回書きますが、これまでハローワークといえば、「怖い所」というイメージがあり、とても行ける場所だとは、思っていませんでした。
でも、この時は割とすんなり、スタートを切れましたし、その後も臆することなく、通えてましたね。
要因の一つは、「障害者認定」。
障害者だと、失業認定のための就職活動が、非常に簡易で済みます。
明らかに、敷居の低い場所に、なっていたんです。
それから、「自分に自信がついたこと」
以前、強制的にハローワークに行かされた時に比べたら、明らかに意気込みが違いました。
当時は自信がなかったから、そもそも「自分が仕事なんて、出来るんだろうか?」からでしたから。
この時も、「仕事が出来る」なんては、思っていませんでしたが、ネットワークエンジニアとして、3年弱は働けたことが、自信になっていましたね。
あと、何より「一人じゃなかったこと」。
病院の就職担当がいてくれたことは、心強かったですね。
あと、同じく就職活動をする人もいました。
それぞれに夢を実現するわけですが、やっぱり同志がいたのは、勇気を出せたと思います。
就職活動は、5ヶ月ぐらいでした。
面接まで行ったのは、4社だったかな?
未知の世界でしたけど、かなり前向きに進むことが出来た、時期でした。
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