螺旋を描いて…

螺旋 のごとく続く毎日を綴ります

草加市の思い出・51…

草加市在住時の思い出の思い出を、記しております)

 

震災が落ち着いた頃。

僕もいよいよ、再就職をすることになりました。

今はないようですが、その当時は病院に就職担当がいて、いろいろと就職を世話してくれていたんです。

時期的には、ラッキーだったと言えるでしょうね。

 

確かこの頃は、そろそろ傷病手当金が、切れる頃。

そんなこともあって、ハローワークへ行くことも増えました。

 

具体的には、次回書きますが、これまでハローワークといえば、「怖い所」というイメージがあり、とても行ける場所だとは、思っていませんでした。

でも、この時は割とすんなり、スタートを切れましたし、その後も臆することなく、通えてましたね。

 

要因の一つは、「障害者認定」。

障害者だと、失業認定のための就職活動が、非常に簡易で済みます。

明らかに、敷居の低い場所に、なっていたんです。

 

それから、「自分に自信がついたこと」

以前、強制的にハローワークに行かされた時に比べたら、明らかに意気込みが違いました。

当時は自信がなかったから、そもそも「自分が仕事なんて、出来るんだろうか?」からでしたから。

この時も、「仕事が出来る」なんては、思っていませんでしたが、ネットワークエンジニアとして、3年弱は働けたことが、自信になっていましたね。

 

あと、何より「一人じゃなかったこと」。

病院の就職担当がいてくれたことは、心強かったですね。

あと、同じく就職活動をする人もいました。

それぞれに夢を実現するわけですが、やっぱり同志がいたのは、勇気を出せたと思います。

 

就職活動は、5ヶ月ぐらいでした。

面接まで行ったのは、4社だったかな?

 

未知の世界でしたけど、かなり前向きに進むことが出来た、時期でした。

 

 

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