今は、これですね。
当時は、こちらでした。
特急「あさま」号。
巨匠(母)の実家に行くときに、当時の信越本線は、よく乗りました。
乗車は「上野」、降車は「上田」。
「上から上へ!」だったんですよ。
まぁ実際は、父方の南魚沼(当時は六日町か浦佐)とのセットで行くことが多かったので、上越線と分かれる高崎(上州!!)から乗ってましたね。
もちろん、「だるま弁当」を買う時間が、ありました。
高崎駅の、名物弁当ですね♪
帰りは高崎で降りないので、「峠の釜めし」の方が、多かったかもしれません。
その「峠の釜めし」を討っている、横川駅と、長野県の軽井沢駅の間は、「碓氷峠」という急勾配。
EF63という、特別な補助機関車を2機も付けて、急坂を上り下りしました。
横川駅には、どの列車も必ず停車。
機関車の連結シーンは、よく見に行きましたね。
カメラはまだ、早かったので、絵日記に描いたことが、ありますよ♪
列車は登るのも大変ですが、実は下り坂で、止まれなくなるのが、最も怖い。
機関車は先頭に立って、ブレーキ代わりになって、急な下り坂を安全に下りました。
実際、EF63は、何重ものブレーキを、装備していたそうです。
特急側も、12両もあって、重いですから、協調運転という仕組みを持っていて、機関車と協力して、碓氷峠を越えました。
ちなみに、この区間は乗り心地が変わります。
安全のため、空気バネをパンクさせるので、レールからの揺れが、ダイレクトに伝わります。
乗り心地は落ちますが、今となっては、それも思い出ですね。
そう言えば、特急車の最前部は、運転台が占めているんですが、一度だけ、急行「信州」で、越えたことがあって。
当時の急行は、行き先が違う列車を併結したりしたので、最前部は貫通式。
連結した隣の編成に移るための、通路が作れるようになっていました。
窓もあるので、機関車がつくと、バッチリ見えるのです♪
機関車は左右に揺れながら、一心に追ってきます。
ちょっと不気味でもありましたが、迫力はありましたね~!
今は線路が途切れ、この区間を走破する鉄道は、ありません。
若い人は、知らない区間になりました。
今年で49になりますが、この区間を何度も上り下り出来たのは、鉄道趣味を大いに充実させましたね♪
ラッキーだったと思います♪
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