路面電車は市内に行かなければ見れませんでしたが、自宅のすぐ近くを日豊本線が通っており、九州の鉄道には身近に親しむことが出来ました。
これは北九州の車両ですが、カラーリングはこれ。
小豆色にクリーム色のいでたちでした。
九州では交流電化(関東などの大都市圏は、直流電化中心)なので、区別のために特別な塗色が必要だったようです。
後に国鉄がJRになり、この塗色になります。
こちらは実際に、自宅近くを走っていました。
元々は急行用で、グリーン車の格下げ車なんてのもあり、普通列車としては豪華な、回転リクライニングシートの車両もあったりで、当たったらうれしかったり♪
西鹿児島(現:鹿児島中央)から日豊線方面に運転される列車は、宮崎や延岡まで電化線のみを走る列車もありましたが、途中の隼人から肥薩線・吉都線、国分から大隅線など、非電化路線に直通する列車が、結構ありました。
電車しか知らなかった僕には、衝撃の出会いで、特に音と臭いに、魅せられていきました。
意外と写真を撮ってなかったんで、これだけですが…、
「らくだ号」は、国鉄末期の団体用列車で、キハ58系という気動車を改造したものでした。
たまに普通列車にも使われていましたね。
その他、キハ52は古参でしたが、エンジン2基搭載で、単独登山に強かった車両。
どっかで聞いたことがあるキハ53も、エンジン2基搭載。山にも街中にも対応できる車両でした。
その他、全国を席巻したキハ40系、急行用の格下げ・キハ58系が活躍していました。
ただ一本だけ存在した客車列車は、急行「日南」。
南宮崎ー西鹿児島は普通列車扱いでしたから、普通のきっぷで乗れました。
よく見ると、イラスト入りのヘッドマークが、あったんですよ。
この列車も、思い出深い列車でした。
JR九州初期の団体列車「サザンクロス」も、たまに通りました。
乗る機会がなかったのが、残念ですが。
最寄り駅の帖佐から、西鹿児島までは、30分ぐらいだったかな。
そこまで出れば、西鹿児島着のブルートレインに、会うことが出来ました。
新大阪行き「なは」
同じく新大阪行き「明星」
東京行き「はやぶさ」
この当時はブルートレインの名前、だったんですよ。
そんなこんなで、鉄道の知識・興味を三次元的に広げる要素が、自宅近くにごろごろ転がっていたわけです。
カメラは自分のを持っていなかったので、自ずと乗る方に、興味が向きましたね。
一番乗った、帖佐-鹿児島間は、リズムを体で覚えたり♪
楽しかったですね。
今の鉄道趣味の、第2の原点と言えるのが、ここ鹿児島の鉄道だったのですよ。
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